「詩とメルヘン」のこと

詩、ことば、文学

9月16日

 朝ドラの「あんぱん」は時々眺める程度だが、今朝はミュージカル「怪傑アンパンマン」の制作打ち合わせの場面があった。この「怪傑アンパンマン」というのは、元はやなせ・たかし(当時は姓と名の間に・があった)が責任編集していた月刊誌(創刊当初は季刊誌)「詩とメルヘン」に連載されていたものである。ドラマの中でも嵩が編集長と呼ばれていたが、これはこの「詩とメルヘン」の編集長だからだろう。この「怪傑アンパンマン」は後にヒット作となったアニメの「それいけ!アンパンマン」とは全くの別物だ。熱血メルヘンと銘打たれていたが、SFとしても活劇としても、メルヘンとしても中途半端で、正直面白いとは思わなかった。当時注目されなかったのも当然だろう。最終回直前になって作者は、「この続きはいったいどうなるか」と読者に「挑戦」してアイディアを募集している。これを読んで僕は、作者もどう終わらせたらいいか悩んでいるのではないかと思ったものだ。ドラマの中の嵩が、締め切りに追われて呻吟しているのを見て思い出した。
 僕は中学から高校生の頃、この「詩とメルヘン」を愛読していた。当時の定価が380円。文庫本が2~3冊買える金額だったからかなり高い買い物だった。毎月書店の店頭で買うかどうか悩んでいた覚えがある。今手許にあるのは7冊だけだが、これは実家を出て一人暮らしを始めた時に持って出たものだ。実家にはその倍くらいあったはずだが、今はもうない。惜しいことをした。
 その後やなせたかしがアンパンマンで有名になったこともあり、なんだか気恥ずかしくて言い出しにくくなってしまったが、僕が「詩とメルヘン」から強い影響を受けていたことは紛れもない事実だ。当時は(今もかもしれない)唯一無二と言っていい雑誌だった。公募の詩とプロの書き手のものが同列に並び、それぞれに美しいオールカラーのイラストがついているのである。ことにイラストはやなせだけではなく、司修、宇野亜紀良、深井国、葉祥明など一流の作者によるもの、執筆陣も谷川俊太郎、寺山修司、別役実などが参加した。
 僕は高校時代に購読をやめてしまったが、この雑誌は2003年まで続き、休刊後は、2007年から「かまくら春秋社」から刊行された「詩とファンタジー」が実質的な後継誌となり、ここでもやなせは、創刊から亡くなった2013年の24号まで責任編集を務めていた。この仕事への強い思いが窺い知れる。
 やなせは「詩とメルヘン」中の連載エッセー「星屑ひろい」の中で、姉妹誌「いちごえほん」と二誌の編集を一手に引き受けたが、定額の編集費以外は原稿料を取っていないと書いている。「一枚いくらということになると一枚でも余計かこうとガツガツしてしまいますが、今は一枚かく度に編集経費が節約できるので、うれしいのです。いよいよ大節約という時は全くひとりでかけば完全に無料になる。(中略)徹夜でも何でもさせられます/しかし幸いにして『詩とメルヘン』は黒字になり、現在では優秀な才能に対してお金を支払ってかいてもらうことができます」
 編集後記にも、編集と作者を兼業するジレンマとして「作家としてはなるべく原稿料をたかくしなければいけない。編集者としては製作原価をおさえたい。一番おさえやすいのは自分だから、自分に辛く当たることになる」と書いた上で、編集者として断られる辛さを知っているから、「ほとんどなにひとつことわらない」、その結果殺人的なスケジュールになってしまうと書かれている。それでもやなせは死の直前まで、この仕事を続けたのだ。
 前述の「星屑ひろい」にはこんなことも書いている。「ウサギちゃんのおめめはなぜ紅いの、きっと夕日をみすぎたからよ。なんていう風なのを『まあ、かわいい!』と嬌声あげてよろこんで『私、児童文学と絵本を研究していますの』などと言う女学生をみると頭へくるなあ。/メルヘンかいても生命がけ/編集したって生命がけ/詩をつくっても生命がけ/顔で笑って心は毎日真剣勝負、朝の紅顔、夕は白骨。『詩とメルヘン』の編集は甘いというひともいるが、『それじゃあ、あんたがカライとおもっている作品をぼくにみせてくれ』とぼくはそういいたいなあ」
 「アンパンマン」の作者のイメージとはだいぶ違う顔が見えてくるのではないだろうか。

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