「悪魔の手毬唄」考③

詩、ことば、文学

1月26日

 (①、②もお読みください。尚、ネタバレ有り。)77年の映画版以降、「悪魔の手毬唄」は五回ドラマ化されている。このうち、僕が最も好きなのは09年のフジTV系稲垣吾郎版で、次はちょっと悩むが77年TBS系の古谷一行版①だろうか。93年フジ系の片岡鶴太郎版は、原作を大きく改変しているため評価が難しい。逆にTBS90年の古谷一行版②は、市川崑映画の世界を一歩も出ていない。最新の19年フジ系加藤シゲアキ版は後述するが、非常に問題が多い(あくまで個人の意見です)。
 それらについて語る前に、77年の映画に戻る。総社駅での別れの場面で、金田一が磯川警部に向かって、「(リカを)愛してらしたんですね」と問いかける。原作では、これは京都駅でのことになっている。休暇を取って金田一と京阪・奈良に遊んだ磯川が、列車に乗り込んだ金田一を見送った別れ際に、金田一がこの言葉を放つのである。磯川は、23年前の事件を独自調査するために何度も亀の湯に投宿していた。リカの境遇に同情することもあったかもしれない。彼は妻を亡くして男やもめなのだ。だが、本文中には磯川のリカへの特別な関心を示すような記述はない。磯川も金田一に指摘されて初めて自分の気持ちに気付いたのだろう。だからあっと叫んでたじろいだのであり、それが物語の余韻にもなるのだ。映画では、若山富三郎の磯川は最初からリカにデレデレで恋情は隠すべくもない。これでは、わざわざ指摘しても野暮でしかない。結局その言葉は汽笛に邪魔されて届かないのだが。
 ところで、この映画でリカを演じた岸恵子が、封切り前にTVの番宣で自分が犯人だと暴露してしまい、横溝を怒らせたという話がある。昨今のサスペンスドラマでは、役者の「格」でほぼ犯人の目星が付くが、この頃はまだ主役級が犯人を演じるのは珍しかった。一方、小説中のリカはそこまで目立ってはいない。犯人当ての推理小説なのだから当然である。僕も初読の際は当てられなかった。宿の女将が犯人なんて、ヴァンダインのニ十則にある「使用人を犯人にしてはいけない」とスレスレではないかと(負け惜しみに)思ったりしたものだ。ともあれ、この映画以降、磯川のリカへの恋心を描くのは定番となった。
 文子の殺害シーンも後続の作品に影響を与えている。葡萄酒工場の片隅に遺棄されているというだけでは、映像的に弱いからだろうか、映画ではなぜか滑車で釣り上げられ、醸造樽の中に投棄されてしまう。それが独特な映像処理もあいまって、印象的でとても怖い絵になっているのだ。その後の作品でも、文子は大抵吊られたり、樽に漬けられたりしている。片岡鶴太郎版では、伊丹十三作品などにも出演している元AV女優の朝岡実嶺が、大判小判とともに逆さ吊りにされ、着物をはだけて裸身を見せていた。
 一つずつ作品を見ていこう。まず77年の古谷一行版①。季節は原作通り夏だが、全体に暗めの印象を受ける。一時間枠の6話連続なので、タイトルバックや重複部分を除いても正味4時間以上ある。その分省略は少ないが、おどろおどろしさを強調した作りで、原作のほのぼのした感じがないのが残念だ。終末部分は映画と原作を折衷した感じ。ゆかり(演・夏目雅子)は老婆に襲われるが、駆けつけた金田一に助けられ、犯人はそのまま入水自殺する。古谷一行版②(二時間版)は、①のリメイクだが、内容的には77年の映画の方をほぼそのままトレースしており、しかも映像の美しさは映画には遠く及ばない。こんなものを作るくらいなら①を再編集した方がまだ良かったのではないかと思ってしまう。
 片岡鶴太郎版。田舎の夏の情景は全作品中最も美しい。夏祭りの会場は古い芝居小屋(愛媛県の内子座で撮影したらしい)で、風情がある。だが、歌名雄をリカの子ではなく、隣村の名家の跡取りとするなど、設定そのものの変更が多く、もはや別物になってしまっている(これはこのシリーズ全体の傾向である)。
 稲垣吾郎版はこれまでの中では最高の出来と言えるだろう。「ゆかり御殿」が登場する唯一の作品であり、不完全ながら「火と水と」の章も取り入れている。脚本の佐藤嗣麻子は、原作をよく読み込んでいることが窺われ、山狩りの松明を見た橘(原作の磯川)に、「まるで送り火だ」と言わせる。原作にはないが、読んでいなければ書けないセリフである。季節が秋なのは残念だが、黄昏の仙人峠で老婆と邂逅するシーンなど、映像も美しい。
 最後の加藤シゲアキ版はまだ記憶に新しい。稲垣版と同じフジだし、磯川を古谷一行が演じるということで期待していた。が、いきなり大きな改変に面食らった。スピードアップのために女中のお幹に過去のいきさつを説明させるのはいいとして、金田一と謎の老婆の邂逅と康子の殺害を、同じ日の出来事にしている。これでは、リカは老婆に扮して金田一に姿を見せた後、放庵を殺害して死体を隠し、その後夏祭り会場から康子を誘い出して殺害し、滝壺に遺棄して升と漏斗の細工をしたことになる。ただ一人で、自動車も使わずに。
 里子が老婆を目撃したと証言したことから、金田一が放庵宅に行って吐血の跡を発見するという展開も無理がある。里子に姿を見られたのは予定外のはずだが、里子が証言しなければ発見はもっと遅くなる。それでは放庵に罪を着せることは難しい上、老婆に扮装する意味もなくなってしまう。
 磯川が自殺する恐れのあるリカの逃亡を幇助するとか、リカが原作にはない手毬唄の4番になぞらえて自殺するとかいう展開に至っては、もはや別の物語になっていると言っていいだろう。表現者として自分なりの解釈を入れてみたいと思うのは当然だが、ベースが原作ではなく、過去の映像作品(特に77年の映画)になってしまっているように思える。ちなみに、この作品における多々羅放庵は、金田一に真相をばらすと言ってリカを脅迫する。映画に輪をかけた卑劣漢にされてしまっているのだ。
 ドラマ化第7弾はNHKになるのではないかということだ。「八つ墓村」でも(省略されることが多かった)典子を描いてくれただけに、これまでになく原作に近いドラマにしてくれるのではないか。ちょっとだけ期待している。

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