暮らしの中の関西弁

詩、ことば、文学

11月26日

 川上未映子の(特に初期の)ものなどを読んでいると、関西弁のアドヴァンテージというものを感じる。町田康訳の「宇治拾遺物語」(池澤夏樹編集の日本文学全集で読める)など、むっさしょーむなくて抱腹絶倒。だが、もちろんこれらは使い手の技量によるものだ。
 十数年前、奈良市写真美術館に行った時のこと、どういうわけかそれまで訪れるたびに臨時休業(改装中とか、展示替えとか)だったので、その時は開館を確認して満を持して訪問した。すると、僕と前後して入った二人の男性が、写真の一枚一枚に「これは吉野やな」「せやせや」、「こっちは飛鳥やな」「せやせや」、「斑鳩やな」「せやせや」、「生駒やな」「せやせや」と掛け合い漫才を始めたのである。関西弁には場の空気を一変させる力がある。僕はたまりかねて映像コーナーに入り、二人をやり過ごしたのだが、その後は「せやせや」が耳にこびりついて離れず、入江泰吉の写真に全く集中できなくなってしまった。げに、関西弁の破壊力、浸透力は恐ろしい。
 最近ではTVをつけると、若いタレントが食レポで「めちゃくちゃうまい」を連発しているが、僕に言わせるとこの「めちゃくちゃ(ないし、めっちゃ)」も立派な関西弁である。東京近郊に生まれ育ち、都内の大学に通った僕が、この言い方を初めて聞いたのは大学の大阪出身の友人からで、当時大変違和感を覚えたのを記憶している。僕のそれまでの認識では、「めちゃくちゃ」というのは、「修復不能なほどひどい状態」を表す言葉であって、程度の甚だしさを言う(それもいい意味で)言葉ではなかったからである。それが、以前書いた「におうの他動詞用法」などと同様、TVなどを通じて全国に広まったのだろう、今では誰でも使う言葉になった。僕も「どや顔」「へたれ」はさすがに使わないが、酒肴を意味する「あて」などは、時々無意識に使っている。これも、初めて「dancyu」にカタカナで「アテ」と書いてあるのを見た時には、全く意味が分からなかったものだ。
 嘔吐する意味の「えずく」も、初めて聞いた時には何のことか分からなかったが、最近では小説の地の文でも普通に使われているのを目にする。作者は西日本出身のことが多いが、編集者はもう既に標準語になったと認識しているのだろうか。
 個人的に嫌いな言葉を上げると、まず「豚まん」。こちらでは「肉まん」だったはずだが、関西では「肉ゆうたら牛や」というわけで、区別のためにわざわざ「豚まん」と呼ぶ。今では横浜の中華街でも「豚まん」の表記が多くなっていて嘆かわしい。
 もう一つは「嫁」。自分の妻のことを「うちの嫁」などという。これは必ずしも関西由来の言葉ではないのだろうが、発信力の強い上方芸人が多用したために広まったという意味で、僕に言わせれば関西弁である。この言い方はとても不愉快で、聞きたくない言葉の一つだ。(配偶者の呼び方は、なかなか正解がないのではあるが)。

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