表音主義の行方

詩、ことば、文学

10月29日

 「『お間違いありませんか』に間違いはありませんか 『正しい日本語』を探る30の視点(中川秀太著 東京書籍 2026年)」という本を読んだ。変化する日本語の最前線と変わらない規範を考察する、というとても示唆に富んだ本だった。内容は多岐にわたっているが、今回は仮名遣いについてこれを読みながら考えたことを少し書いてみたい。

 SNSなどで、「そうゆうこと」という表記をよく見かける。もちろん正しい表記は「そういうこと」である。誤りというよりは敢えてカジュアルに書いているのかもしれない。ネットスラングなど、僕には意味不明な言葉が渦巻いている中ではたいした「誤り」ではないともいえる。
 問題は正しい表記が「そういう」だから、「いう」を「ユー」と発音するのも誤りというわけではないということだ。そもそも、現代仮名遣いに変わる以前の古い仮名遣い(歴史的仮名遣い)だと、「いう」の発音は「ユー」なのだ。幽霊を旧仮名で表記すると「いうれい」になる。

 現代仮名遣いは表音主義(話し言葉の発音に忠実に文字を用いるべきだという考え)に基づいているのだとすれば、言う(謂う・云う)の仮名表記として「ゆう」も認められるべきはずなのだが、それをすると「いわない・いった・ゆう」と活用して語幹ごと変わってしまうのを認めなくてはならず、悩ましいのだろう。
 もっとも「ゆう」を認めればそれで万事解決とはならない。「ゆう」の「う」は多くの場合、独立して「う」と発音されるのではなく、その前の「ゆ」の母音を引きのばす形で発音される。つまり長音である。カタカナ表記では「ユー」が認められているが、ひらがな表記では通常長音記号を用いない。表音主義を徹底するならば仮名表記でも長音記号を使えるようにするべきだ。もちろん最初の内は違和感が強いだろうが、仮名遣いを変更するというというのはそういうことだ。

 昔、読売ジャイアンツがユニフォームの背に選手名をローマ字表記する際、王貞治選手の名前を「OH」とした。「O」や「Ō」のように一文字だけでは間が抜けて見えるので、英語の感嘆詞でもある「OH」を採用したのだろう。だが、王選手の名前の実際の発音は「オウ」ではなく「オー」である。
 それとは別に、「大きい(おおきい)」を「おうきい」としてしまったり、「そのとうり」と書いてしまったりするミスも作文の添削などをしていてよく見かける。これらは歴史的仮名遣いでは「おほきい」「とほり」なので、「ほ」→「お」となったのだ(ちなみに『王』の旧仮名表記は『わう』である)。これら長音はすべて「ー」で書くように統一すれば悩む必要はなくなる。
 もちろん僕自身の美意識に照らすとそんな表記は厭だ。でも、これから日本語を習得する人のことを考えて表記法を改善するためには一考に値するのではないかと思う。
 最近、若いアナウンサーなどが、例えば「請求」を「セイキュウ」と太字部分を強調して発音するのが気になる。ひらがな表記でも長音記号を採用すれば、こういうことはなくなるかもしれない。

 現代仮名遣いでは「じ・ず」を原則として、「ぢ・づ」は用いないことになっている。例外的に「ぢ・づ」を用いるのは「ちぢむ」「つづく」など同音の連続によって濁音化した場合と、「はなぢ(鼻血)」等のように二つの語が結びついて一語となる際、後ろの後の最初の音が濁音化する(連濁)に限られている。
 ヒサヤ大黒堂の看板のおかげで、「痔」は「ぢ」だと思っている人も多いようだが、現代仮名遣いでは「じ」が正しい。
 僕が毎回戸惑うのは「訪れる」。キーボードで「おとづれる」と打ってしまってから、正しく変換されないので誤りに気付くのである。「いなづま」もよくやってしまう。これなど稲妻という漢字表記があるのでなおさら間違いやすい。語源はともかく、稲の妻というわけではないので複合語とは認められないという理屈で「いなずま」が採用されているのだろう。
 紛らわしいのは表音主義が徹底されていないからだとして、中川氏はすべて「じ・ず」に統一することも検討すべきではと言っている。戦後間もない頃には「みかずき(三日月)」のような表記もあったということだ。「ちじむ」「つずく」などと言う表記は個人的にはいただけないが、将来にわたっては確かに検討すべきなのかもしれない。

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