前口上

6月23日

 20年ほど前、初めて自前のPCをインターネット接続したときのことである。ちょうど翌週に京都に行くことになっていたので、「京都・紅葉」で検索してみた。すると「先週、久しぶりに夫と二人で、京都を訪れました」に始まる文章がヒットした。いくつかの写真とともに、その日経験した出来事が綴られている、「日記」であった。これが、僕が初めて見る「ブログ」だったわけだが、正直言ってその時僕は驚愕した。自分の日記を不特定多数に向かって公開するという行為にもだが、ただの無名の主婦の日記を現に多くの人々が読んでいるという事実に、なんだか空恐ろしいような気分にさえなったのである。もっとありていに言えば、「何が悲しくて、どこかの知らないオバさんの日記を読ませられなくてはいけないのか」と思ったのである。もちろんその時には20年後の自分が同じ行為をするなど、夢にも思っていなかった。
 私は今年還暦を迎えた、無名の人間である。国語科の元高校教師。今は自称詩人、と言っても過去にたった一冊、詩集を自費出版したことがあるだけ。現在は音訳者の修業中。音訳者とは、通常の活字による読書が困難な人のために、本や資料を代読する人のこと。しかしその活動も、現在コロナ禍で休止中である。生涯学習のつもりで、古文書の解読を学び始めて五年になる。おいしい酒を飲み、できるだけ旨いものを食べるのが趣味(分相応に)。そのための努力は惜しまない。
 常に何かを表現したいと思っている。思っていることを語らずにいるのは「腹ふくるるわざ」なので。今のところ語る相手は妻しかいないが、どうも僕のうんちく話には食傷気味のようだ。家庭円満のためにもどこか別に吐き出し口を見つけた方が良さそう、ということでこれを始めるに至った次第である。読んでくださる奇特な方がいればよいのだが…。
 最初に詩を一つ。

僕が僕でなかった頃

まだ僕が
僕でなかった頃
世界に戦争があった
空は朱の色に燃え
川は屍体で埋まった
若かった僕の父は逃げまどい
機上の射手の蒼い瞳を見た
だが彼は死なず
僕の母を知り
母は詩人の僕を生んだ

詩人とはけして職業ではない
やがて僕が僕になってからも
世界の外からは
戦争の靴音が聞こえていた
遠雷の轟きのように
他人事のようにリモコンを握りながら
僕はブラウン管の中に
ロケット弾の航跡を見た
この世界の真上を
ミサイルが飛び越えたこともあった

僕はただ歌い続けた
僕は炭鉱のカナリアではなく
ただの人のいい詩人だから
戦争の詩は歌えなかった
下手な詩は救いがたいが
上手な詩はたちが悪い
だが凡庸な詩は
もはや詩ですらないんだろう
詩が滑稽だなんて言えるのは
選ばれた人だけだろうに

下手に歌えば笑ってもらえる
だから僕は凡庸な詩を歌う
詩で世界を変えようなんて思わない
誰一人足を止めてくれなくても
僕が僕である限り歌い続けるしかないのだ
この世界がニセでも構わない
僕がニセだったら本物の僕は何処にいる?
やがて僕が僕でなくなっても
きっと戦争は続くのだろう
世界は続くのだろうか

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