「反戦」のコンテンツ

詩、ことば、文学

8月25日

 小説家の柚木麻子が、朝日新聞に寄稿した「日常から消えた あの戦争」を読んだ。小説家が多少なりとも「政治的」発言をすることのリスクは、今日ではとても高いようだ。以前このコラムでも取り上げた李琴峰なども、「反日」などと中傷を受けているらしい(日本文化が大好きで、わざわざ台湾から日本に来て日本語で小説を書いている彼女が、『反日』の筈はないだろうに)。それゆえ、こういう「当たり前」な反戦のメッセージを出せることが僕には眩しく見えるのだ。
 彼女は、昨年ドイツを旅行した時の経験をもとにこう書く。「自ら情報を取りにいかずとも戦争に関する情報が次々に入ってくるこの感じは、私が子どもだった1980年代を思い出す」。
 そうなのだ。確かに彼女が言う通り、かつてこの国には「反戦のコンテンツ」があふれていた。彼女は中一の時に遠足で「丸木美術館」の「原爆の図」を見せられて大きなショックを受けた思い出を書いている。「20年後、私は丸の内でばったり、あの時号泣していた同級生Kちゃんと再会する。あの遠足の思い出を話したら、Kちゃんは『ショックだったよねー』と懐かしそうに話した後、『でも、見てよかったと思う』とつぶやいた。私もうなずいた/当時は作り手の多くが戦争経験者だったこともあり、自身の経験を風化させてはならないという矜持が、リアルな恐怖を感じさせたのだと思う」。
 彼女が言う通り、かつてこの国では「もっと愚直に、必死の形相で、大人たちが『戦争反対』と叫んでいた」のである。教育現場はその一典型だった。

 教員だった頃僕が担当した学年でも、沖縄修学旅行を企画した時には、事前学習で沖縄戦に関するリポートを課し、「ひめゆりの塔」をはじめとしたいくつかの映画も見せた。真面目な生徒が泣きながら「修学旅行に行きたくなくなっちゃった」などと言っていたこともあったが、今となっては見せてよかったと思う。
 それが今世紀に入る頃から次第に潮目が変わってきた。その頃不思議な噂を聞いた。企業をリストラされた中高年男性が、ある講演を聞くと元気になって帰ってくるというのだ。そこでは、「今の日本を悪くしているのは、日教組と朝日新聞と岩波書店です。あなたたちは被害者で、何も悪くありません」と話されるというのである。あまりの馬鹿馬鹿しさにその頃は気にも留めなかったが、それがじわじわと効いてきたのである。本来批判されるべき為政者や搾取者への不満をそらす意味では巧妙だったのだろうか。そしてその先に今があるのだ。

 この人の作品は「BUTTER」しか読んだことはない。題名だけ見たら官能小説と思ってしまいそうな小説だが、バター醤油ご飯の話、男の部屋のキッチンを借りてパウンドケーキを焼くエピソード、セックスの後の午前二時の塩バターラーメンなど、どれをとってもそれだけで魅力ある短編になりそうな作品だった。「木嶋佳苗事件」をライトモチーフにした小説だが、そのいびつな生真面目さをあえて生真面目に書いた傑作だと思った。この作者もきっと真面目な勉強家なのだろう。記事中に紹介されている「らんたん」なども、綿密な取材に基づいて書かれているのだろうと思う。読んでみたい。

 柚木が言うように「普通に暮らしているだけなのに、人権や戦争について当たり前に正しい知識が入ってくるようになれば、別の景色が見えてくる」のだ。メディアや教育の責任は重い。

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