6月28日
5月3日の投稿で「日本の保守政治家を一言でいえば『戦前の価値・権力体系を温存・復活しようと考えている人たち』だと思う。『戦後レジームからの脱却』を掲げた安倍元首相はその典型だ。そしてそれは右派とかネトウヨと呼ばれる人たちにも共通する」と書いた。これはまあ、僕の持論なのだが、僕は政治学や近代史を専門的に学んだわけではないから、あくまでも個人の感覚的なものに過ぎなかった。
6月16日の朝日新聞「交論 そもそも保守とは」で、慶応大学教授の小熊英二とコロンビア大学教授のマーク・リラの語りを読んで、僕の感覚の裏付けを得ることが出来たと思った。
マーク・リラは本来の意味での保守主義について、「社会というものはあまりにも複雑にできているため、政治はゆっくりと漸進的にしか変化できない」と考え、「教条主義的、あるいは劇的な変化を求める熱狂ではなく、そうした穏健な歩みを常に続けていく」ものだと言う。一方で、革命家と反動主義者はともに、歴史には劇的な断絶があり得ると信じていて、「革命家は未来にその断絶を待ち望み、反動主義者はそうした断絶が過去にすでに起きてしまっていて、断絶前の状態に戻そうと」考えているのだと喝破する。
つまり日本的保守というのは反動主義者なのだが、問題は革命を経験していない日本には、彼らが考えるような断絶は起きていない、少なくとも不完全な形でしか起きていないということだ。
いわゆる「台湾有事」が、国の「存立危機」になり得るという首相の答弁が話題になったが、1950年代初頭には、台湾より日本に近い朝鮮半島で米軍を中心とする国連軍と、中国に後押しされた北朝鮮軍が全面対決する戦争が起きている。当時それを「危機」と感じる国民はほとんどいなかったはずだ。むしろ「特需」に沸き、それが戦後復興を後押しして高度成長に繋がっていったのだった。一方で、在日米軍のプレゼンスがなくなることから警察予備隊が作られ、日本の再軍備が始まるという側面もあった。
当時の日本人は、二度と戦争をしてはならない、巻き込まれるのもダメと、骨身にしみていたはずだ。それは保守政治家にしても同じだった。だから、戦前回帰路線を堂々と称揚する保守政治家としては、戦後生まれの安倍晋三を待たねばならなかったのだろう。
脱線するが、小泉純一郎(1942年生まれ)というのはかなり不思議な人物で、首相引退後「反原発」に転じるが、「原発がないと日本経済は破綻する」という説は嘘だという主張の際、「戦前の日本は『満州は日本の生命線』と言ってたが、満州がなくなったほうが日本は発展したじゃないか」という、戦前回帰派を激怒させかねないような発言もしている。
いずれにしても、朝鮮特需に端を発した日本の経済が好調なうちは「反動主義者」たちの論が幅を利かせることもなかった。小熊英二は端的に、「10~20年ほど前までは、そこに『日本は平和国家であるべきだ』という要素もあり、これが日本の民衆の支持を得ていた。しかし世代交代が進み、この『平和主義』への支持は減少した」と述べている。要するにいわゆる失われた世代以降の国民にとっては「戦争がない」ことはいわばデフォルトで、しかし社会は(自分たちにとって)少しもいいものではないという現実がある。そういう中で、「日本を駄目にしたのは日教組と朝日新聞だ」というようなトンデモ論を主張するものが現れたのだ。ちなみに「日教組」の部分には国労とか自治労が代入されることもあり、朝日に加えてTBSや、雑誌「世界」を発行する岩波書店が槍玉にあがることもある。この論に感化された人たちが後のいわゆる「ネトウヨ」になり、当初はネット掲示板などの限られた空間に生息していただけのものが、SNSの爆発的普及により、奔流となって社会を覆っているというのが現状なのだろう。
小熊は高市政権と自民党の現状について、「確固たる思想を持っているようには見えません。党内支持も安定しないので、いわゆる『保守層』に頼る傾向があり、そのため保守的・右寄り発言が目立つ」「旧来の地域的つながりや業界団体といった支持基盤が弱体化して、自民党が構造的に変化している。それを補うために、いわゆる『保守層』の浮動票に頼ることにな」っていると分析している。小熊も言う通り、これは非常に良くない傾向だと思う。

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