11月21日
いわゆる、「103万円の壁」の引き上げで、自公の与党が国民民主党と合意したという。僕は、控除額の引き上げとか減税には基本的には賛成なのだが、今回の国民民主党の振る舞い方には正直言って違和感を覚えている。
今回国民民主党が議席を伸ばしたのは、この「103万円の壁」を破るという公約が受け入れられたためとされるが、こういうワンイシュー(ガソリン減税もあるのでツーイシューだが)はかつての郵政選挙を思い起こさせる。
国民民主党の主張通りに、課税所得額を178万円に引き上げると、大幅な税収減になるので、地方公共団体の首長が次々に反対を表明している。僕の住む川崎市の市長も反対しているが、川崎の場合例の「ふるさと納税」の影響で既に深刻な税収不足に苦しんでいる。元鳥取県知事の片山善博は「政令指定都市へのダメージが大きいでしょう。政令指定都市は住民税の割合が高いので、横浜や、特に川崎は大変だと思います。もう代替財源もないので、どこを減らしますかというと、私が恐れるのは、たとえば学校の正規の教員を非正規に置き換えてしまうことです。これは今でも財政難のところはやっていますが、そういうことがこれから進行するのではないかと、私はすごく懸念しています」と述べている。
減税すれば消費が上がるから不足分をカバーできるだろうというような、雑な見込みで提案するのは流石に無責任のそしりを免れないだろう。一方で、国民民主党は、基本的に防衛費の大幅な増額には反対していない。その財源のめども全く立っていない現状なのであるが。
「103万円の壁」と言うのは、少し前から主婦パートの問題としてマスコミに紹介されていた。年収が103万円を超えると、所得税の課税が始まり、夫が配偶者控除を受けられなくなるので、それ以上働くことを控えるというものだ。だが、これは実体のない「幻の壁」だとも言われている。所得税は103万を超えた分にかかるだけだし、配偶者控除の代わりに「配偶者特別控除」が受けられるからだ。働き控えをする主婦は、単にそのあたりをきちんと理解していないか、手続き等が面倒と考えているだけだと思われる。
一方、今回国民民主党の主張が一番「刺さった」のは、働く学生などの若者たちだと思われる。学生の場合は、「配偶者特別控除」のような制度はないから、保護者の扶養控除がなくなって世帯収入が減ってしまう。経済的に恵まれない学生にとっては死活問題なのだという。「貧困東大生」の布施川天馬もインタビューに答えて「『103万の壁』の撤廃と、時給の底上げが必要」と言っていた。
TVのニュースでは、学生の声とともに雇用主の声も紹介されていた。雇用側から見れば、安い賃金でよく働く学生バイトは都合がよいわけで、「壁撤廃」は大歓迎だろう。彼は「103万円の壁のおかげで、意欲のある学生がいても、これ以上シフトを入れられなくて困っている」と語っていた。この「意欲のある学生」という言葉が引っかかった。学生がバイトに意欲を持ってどうするのだ。学生の本分は勉学であるべきだし、スポーツであったり、それ以外の「若い時にしかできないこと」であってもいいが、損得関係なく何かに打ち込めるのが学生時代であるはずなのに。
そもそもどうして大学生がそんなにバイトで稼がなくてはならないのか。遊興費の為なら論外で、そんな学生を優遇する必要などないが、実態はそうではないようだ。筑波大学の田中洋子が「大学生の貧困」について語っているのを読んだ(「令和の大学生が陥っている貧困の本質を、この国の『働き方』から考えてみる」ディーピータイムズ2024.07.24)。田中によると、リーマンショック後の2000年代末から2010年代にかけて、学生の “働かせ方” が、目に見えてキツくなってきた。ゼミの学生が、「ブラック企業」でのバイトで大変な目にあうという状況を頻繁に目にするようになったという。同時に、親の仕送り額が年々減り、「生活が厳しい」「アルバイトをたくさんしないと食べていけない」という学生も少しずつ増えてきた。
親の雇用や収入が不安定化する中で、学生のアルバイトの給与も改善されてしかるべきなのに、そうはならず、低賃金のまま、「アルバイトのモチベーションを高めるため」という理由で、重要な仕事を任されるようになってきている。「『クリエイティブな仕事をさせてあげてるんだから、これくらい働いて当然』という企業側のやりがい搾取と、『お金が必要』という学生たちのニーズは、最悪のマッチングを起こしている」のだという。
国民民主党の玉木代表は、「若者たちのために『103万円の壁』を必ず撤廃します」と言って喝采を浴びていたが、彼は大学生が学業そっちのけで130万も150万も稼ぐような日本にしたいのだろうか。僕はむしろ、大学生が「生活のために」バイトしなくていい社会にしてほしいと思う。前記の田中洋子はこんなことも言っていた。「ヨーロッパの多くの国では、そもそも大学の学費はゼロです。授業料や奨学金の問題は、もっと政治的な争点にするべきです。政治家に対して、『若者を卒業と同時に借金漬けにしない高等教育を実現する気がありますか』と、どんどん問うていかなければならない。個人的に話をしているだけだと、『お金がない』『辛い』と愚痴になってしまいます。でもそれは決して個人の話ではなく、多くの学生を共通して苦しめている問題なわけです。だから政治を変えるしかないんですよ。政治家の頭の中を変えていかなきゃいけない。(中略)ドイツのマクドナルドの事例をあげて、『ドイツでは正規・非正規の区別がなく、全員が同じ給与表に基づいた給与が支払われている』『学生は職業教育の一環で働いていて、使い捨て要員ではない』と話すと、学生たちはみんな『へぇ〜!』ってなりますよ。でも、そこから先に進まない。『ドイツいいな』『すごい』で終わってしまって、自分たちのやっているアルバイトの状況がおかしいぞ、という方向にはならないんですよね。現実をそのまま受け入れ、批判的に考えないことに慣れすぎてしまっているんです。小さい頃から自分で考えて意見を言い、まわりとコミュニケーションを取って何かを変えてきたという成功体験が足りません」。
布瀬川も言うように、「103万円の壁」撤廃は時給の底上げとセットでなくては意味がない。現状では多く稼ぐことはより長く働くことになり、学生の時間を奪ってしまうから。そして、大学の学費をゼロにするか、少なくとも大幅に減免するしか、抜本的な解決はない。「103万円の壁」撤廃などは、ずいぶん勇ましくはきこえるが、本当の所ただの弥縫策で、因循姑息なものでしかないと思う。
などと思っていたら、自公と国民民主の協議を伝える朝日の記事(20日朝刊)中で、「深刻な人手不足で、飲食やサービス業を中心に学生アルバイトが貴重な戦力になっている。大和総研の是枝俊悟主任研究員は、学生について扶養の基準を180万円に引き上げた場合、61万人が働き控えを解消すると試算。個人消費も最大3190億円増える可能性があるという」と書いていた。一部ではもうそんな皮算用も始まっているということか。
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