無知学

詩、ことば、文学

10月31日

 29日の朝日新聞オピニオン欄「『無知学』から見える世界」はなかなか面白かった。科学史研究者・鶴田想人のインタビュー記事である。
 「無知学」というのは、「無知」=「ものを知らない」という状況を、個々人のデフォルトの状態としてではなく、一つの「社会現象」として捉えることから始まる学問なのだという。「社会現象」なので、無知とは単に個人の問題ではなく、意図的にか構造的にか「作られている」と考えるのである。
 鶴田はこう指摘する。「参院選でも、ジェンダー平等やDEI(多様性・公平性・包摂性)に逆らうような言説が一部の支持を集めました。社会が平等化することを『逆差別』だと感じてしまうのは、そもそもの不平等への『無知』があったためではないでしょうか」
 まさにその通りと思った。DEIに反対する人たちは、つまり少数者の痛みに無知なのである。実際に「〇〇年生きてきてそんな人に会ったことはない」「私の周りにそんなことを言っている人はいない」といった言葉が、SNSには溢れている。例えば今、高市早苗首相に批判的なフェミニストたちに対する罵声がSNS上に飛び交っているが、そうした人たちはフェミニストたちがなぜ女性の権利向上を訴えているか、その背景を全く知ろうともしないのである。そしてこの無知は今や、(SNSのせいもあって)単に個人の問題と言えないレベルになっているようだ。
 こうした「無知」と闘って力があるのは、本来教育であるべきなのだが、現在、日本の学校教育は死に瀕している。他国のことは知らないが、「無知」の広がりが日本だけの問題でないのなら、世界的に似た状況が生まれてきているのかもしれない。
 「無知」には構造的な理由もあると鶴田は言うが、このところ顕著なのはやはり意図的に生み出された「無知」であろう。
 「本当に知られたくないことから、あの手この手で注意をそらすことは、無知を作り出す際の典型的な手法の一つです。陰謀論も『注意そらし』の一種だと言えます。主流メディアを攻撃し、生きづらさや不安の原因を特定の集団に向けることによって、真の原因から人々の目をそらせようとする。そこから恩恵を受けるのは、問題の根本的な解決を先延ばしにしたい人たちにほかなりません」と鶴田は言う。
 思い出されるのは、これまで何度もこの欄で書いてきたことだが、バブル崩壊後に右派の論客が始めた「日本を悪くしたのは、日教組と朝日新聞」というような奇怪な主張である。躓いた人は自分が躓いたことを認めたがらない。そういう人たちの耳元に「あなたが悪いのではない。悪い奴は別にいる」と囁くのである。その実質はまさに、「真の原因から人々の目をそらせようとする」「注意そらし」であった。この言説が後のネトウヨに繋がり、SNS時代の今、奔流になって社会を覆っているように見える。
 この混沌とした状況で、奔流に流されないために「無知学」は処方箋となりうるのだろうか。注目したい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました