川端康成の“BL作品”「少年」

詩、ことば、文学

5月22日

 川端康成の没後50周年ということで、新潮文庫から出た「少年」がヒットしているというので読んでみた。突如として話題になっている感はあるが、もちろん新発見などではなく、全集にも入っている文章である。僕は大学時代、必要があって川端の全集に一通り目を通していたはずなのだが、全く記憶にない。そんな同性愛の話などあったかしら。まあ自分のリポートに必要ないと判断して軽く読み飛ばしていた可能性はある。
 実際に同性愛の「行為」が描かれた箇所は、文庫の帯にある「床に入って、清野の暖かい腕を取り、胸を抱き、うなじを擁する」云々というところくらいしかないから、「知られざる川端康成のBL作品」などと言う惹句がなければ、ただの中学時代の友人との書簡集と思って拾い読みして終わるだろう。湯ヶ島で大本教の教主の入浴場面を盗み見たというエピソードには確かに読んだ記憶があったが、それがこれであったかどうかはわからない。
 「伊豆の踊子」の原型だという「湯ヶ島での思い出」の後半に、この清野少年とのことが書かれていたという。それで気付くことがある。下田港で踊子の薫たちと別れた後、汽船に乗り合わせた少年と、マントにくるまって抱き合って眠るところで「伊豆の踊子」は終わる。何とも不思議な終わり方だと思っていた。これが後に続く清野少年との物語を「予告」するものだったのかもしれない。
 「『伊豆の踊子』はほとんど『湯ヶ島での思い出』の原型のままで小説らしいものになった」が、清野少年との思い出を「小説風に整えるのは私には不自然とする気持ちもある」と川端は書いている。これを三島由紀夫ふうに表現すれば「そこには小説がない」ということではなかろうか。
 ここでいう「小説」とは、例えば「伊豆の踊子」なら、「いい人ね」という踊子の言葉に「晴れ晴れと眼を上げて明るい山々を眺めた」ところ、「雪国」なら、島村が駒子の三味線の音に圧倒されるところ(4月21日の投稿参照)のような、小説を小説たらしめる場面のことだ。
 「薫」や「駒子」の実際のモデルを探してみたって何にもならない。これらは「私」や「島村」が見た一瞬の幻に過ぎないのだから。だが、川端康成は清野少年に幻を見ることはできなかったのではないだろうか。
 もちろん、若い川端は清野少年(というか、その実在するモデル)を愛していただろうし、感謝もしていたのだろう。自分の心を畸形と思っていた彼に好意と信頼を寄せてくれたからである(そのあたりは文庫版の114ページから118ページにかけて詳しく書かれている)。その愛と感謝は踊子の薫へのものと質的に同じだ。だが一方は小説として結実し、他方はそうならなかった。滝に打たれる少年の姿は川端に「小説」をもたらさず、彼は「妬み」を覚えたという。それが何故かはわからない(はっきりとは書いてないので)。
 川端康成研究の上では重要な作品だろう。これを「読み飛ばして」いるようでは研究者になれなくて当然だ。一方で僕はBL作品の愛好家ではない(というか、ほとんど読んだことがない)ので、その観点からこの作品を評することは難しい。一個の小説としては、あまり上出来とは言えないと思う。単純に僕が清野少年にあまり魅力を感じないということもある。僕なら福永武彦の「草の花」第一の手帳に出てくる、藤木忍少年の方がずっといいと思うのだが、「BL愛好家」の方々ならば如何だろうか。

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