やさしい人

詩、ことば、文学

3月15日

 兄が66才で亡くなって一年になる。実家で一人暮らしの兄とは、コロナ以来会っていなかったが、定期的に電話はしていた。昨年の3月15日、柏警察署から電話があったときは交通事故かと思った。それが自宅で亡くなっていたと。2月に電話した時には元気そうだったのに。
 7歳年上の兄には、圧倒的な影響を受けた。幼い頃からビートルズなどの洋楽や、日本のGSもリアルタイムで聴いていた。川端の「雪国」を教えてくれたのも兄だし、「青の時代」を含むピカソの画集を見せてくれたのも兄だ。ストラヴィンスキーの「春の祭典」も、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」も…。兄は、ディレッタントとしてはたいしたものだったのではないかと思う。オタクという言葉がまだない頃の元祖オタクといったところもあり、引きこもりという言葉がない頃に3年ばかり引きこもっていたこともある。
 一人暮らしだし、極端な偏食なので、いつかはこういうことも覚悟していたが、それにしても早すぎる。母が大好きで、母からも愛されていたので、亡くなって気が抜けてしまったようだった。緩慢な自殺だったのかもしれない。もともと嫌なことは梃子でもやらない人だったが、何より嫌なのが医者に掛かることなのだ。おそらく血糖やHbA1cの値は相当高かったのではないか。気になったのは目のサプリが沢山あったこと。だいぶ見えづらくなっていたのかもしれない。好きな運転も控えていたようだ。大きな事故を起こさなかったのが不幸中の幸いだったのかもしれないとさえ思う。
 兄のような生き方を愚かと思う人もいるだろう。だが彼はおそらく誰も傷つけなかったと思う(もちろん兄の人生のすべてを知っているわけではないが)。やさしい人だった。
 幼い頃兄と一緒に写った写真を見ると、一枚の例外もなく手をつないでいた。

やさしい人

やさしい人はやせていた
やさしい人は写真が苦手
いつも隅っこで
目を伏せていた

顔を上げるのがいいことか
前を向くのが大事なことか

心のままに生きたいが
ひとを傷つけたくはない
やさしい人はつぶやいた
〝自縄自縛だ〟

好きなものに囲まれて暮らす
望むことはそれだけなのに

やさしい人は戦わなかった
病とさえも戦わなかった

それなのに
やさしい人が死んだとき
その顔はけして
けして安らかではなかった

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