11月13日
僕には自分が生まれ育った土地への愛着はほぼない。これは以前も書いたことであるが、僕は千葉県生まれだが、県北西部のいわゆる「東葛」地区なので、しいて言えば「葛飾民」である(21・11・11投稿)。だから千葉愛なんてものはない。今は神奈川県内に住んでいるが、時々もう少し都心に近い方が便利だと思うくらいで、それほど不満もない代わり、愛着もない。
母校愛もほとんどないのだが、テレビで大学スポーツなどを中継していると、知らず知らずのうちに母校に肩入れして見ている。
大江健三郎や中上健司のように、自分が生まれ育った土地に生涯執着し続ける作家もいるが、これは単純な郷土愛ではなく、愛憎半ばした感情なのだろう。僕の場合は自分の出身地や居住地、出身校について、自虐的に語る分にはよいが、他からくさされるとやはりうれしくはないという程度だ。それが人情というものだろうとも思う。
これを地域や学校から、「日本」に広げたらどうか。僕は大学では日本文学を専攻して、その後高校の国語教師になった。最近は日本語で詩や小説を書き、また、近世の古文書を読むのが趣味でもある。日本の文化や歴史について、人並み以上の理解はあると思っている。
だが、今の日本が素晴らしい国だとは手放しでは賞賛できない。分断が進み、未来にもきな臭いにおいを感じてしまうからだ。
参政党が「国旗損壊罪」を盛り込んだ刑法改正案を提出したという。この「国旗損壊罪」は、自民党と日本維新の会の「連立合意書」にも盛り込まれている。高市首相自身、かつて自民党の右派議員たちとともに提出の動きを見せたことがある。特定の政党や政策に批判的な人に向かって、「反日」「非国民」「帰化人」などという言葉がSNSなどで浴びせられている今、この動きは非常に危ういと思う。
これについて東京新聞が社説で明快に反対を表明した。これは非常によく練られた、条理に適った文章だと思う。
「刑法92条には外国国章損壊罪が定められており、日の丸も同様に扱うべきだという主張だが、外国国旗の損壊を罰するのは外交への悪影響を避けるためだ。公訴の提起には外国政府の請求が必要となり実際の適用例もほとんどない」
「官公庁などの日の丸を損壊すれば、器物損壊罪が適用される。/このため、国旗損壊罪創設には個人所有の日の丸を自身で損壊することを防ぐ狙いがあるが、多発の事実はない。立法事実に乏しいばかりか、芸術や政治的表現の自由を脅かす恐れがある。」
「日の丸が多くの人に尊重され、その損壊に不快感を覚える人があるにせよ、社会の常識を覆すことを狙いとする芸術表現もあり、国や政府への抗議に国旗を用いる手法もあるだろう。/表現の是非に踏み込む可能性のある立法を許してはならない。」
「戦前の植民地主義や戦争動員に利用された史実から、日の丸自体を否定的にとらえる人もいて、罰則の制定で国旗への敬意を強要することになれば『思想・良心の自由』を脅かすことにもなる。」
そして、とりわけ最後の言葉が強く、深い。
「国や郷土に愛着を持つことは、人々の自主性に委ねられるべきであり、権力が強いるものではない。寛容さや自由を尊重する国柄を守ることこそが、国に対する信頼を国民から得る道である。」
「愛国心教育」が言われ始めたころにも感じたことだが、政治がなすべきことは自国を愛することを教え込むのではなく、自国を愛される国にすることだ。そもそも人間は生まれた土地や母集団には自然に愛着を持つものである。むしろ異なるものを受容し、公正に判断できる力を涵養することこそが教育に求められることだと思うのだが。

コメント