6月28日
少し前のことだが、朝日新聞の「耕論」が「女性減って自治体消滅?」という題で、「人口戦略会議」のレポートについて論じていた。「若年女性」人口の減少によって消滅可能性のある地方自治体が全国に744あるという。
この、「自治体消滅」が話題になるのは約十年ぶり、前回は2014年に「日本創生会議」が、「2010年から2040年にかけて、20~39歳の若年女性人口が5割以下に減少する市区町村」を「消滅可能性自治体」として発表した。この時は896あるとされ、その中には有数の繁華街である池袋を擁する東京都豊島区も入っていたことで、センセーショナルに取り上げられたりもした。もっとも、僕に言わせればこのことでかえって馬脚を現してしまった感があった。誰がどう考えても池袋の街がそんなにすぐに消滅する筈がないからだ。
そもそもここで言う「自治体が消滅する」というのは、例えば豊島区全域が更地になってしまうとか、誰も住めないゴーストタウンになってしまうということではない。それではまるで三崎亜紀の小説の世界だ。
このレポートはあくまで、「このまま人口減が続けば豊島区という地方自治体の枠組みが維持できなくなる」と言っているに過ぎないのだ(その後豊島区は「消滅可能性」を脱したようだが)。しかし、ほとんどの豊島区民にとっては、「豊島区」という名前がなくなって、例えば隣の区と合併することになっても、家や街が残り、行政サービスも大きく変わらないなら何の問題もないのではなかろうか。勿論、豊島区という名前に愛着があるんだという人もいるだろうが、平成の大合併とやらで、センスのない奇天烈な名前に変えられてしまった自治体は数多い。
「いや問題はそこではない、人口規模が減ると行政サービスの質が維持できなくなることが問題なのだ」という人もいるだろうが、それなら最初からそういう議論をすればいいだけの話であって、わざわざ「消滅可能性」などと脅してくるあたりが何とも筋が悪いのだ。もっと言えば、人口減を理由に行政サービスをしないのは憲法違反である。そうならないように知恵を絞らなければならないのは当然。
「耕論」の中で小熊英二(歴史社会学者)が言っているように、「自治体は地域とイコールではな」く、「中心集落に移住者が来ても周辺集落の問題解決には直結し」ない。過疎問題の中心である周辺集落については以前、「復興か移住か(5月27日投稿)」でも述べたので、ここではこれ以上触れないが、自治体の興亡などより「現場で生きている人々の具体的な人権状況に、より注目すべき」なのは間違いない。
課題は自治体の消滅なのではない。自治体が消滅しようが、もっと言えば国家が消滅しようが、人権(健康で文化的な最低限度の生活が保障され、個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求の権利を最大限保障されること)さえ守られればいいのだ(と僕は思っている)。
枠組みはどうあれ、それが守られるような社会を作り守っていくためにも少子化がリスクであることは間違いない。しかし、岩本美佐子(女性学・政治学者)が指摘している通り、「女性の権利や選択の自由を抑えつけても、人口が増えないのは明らか」である。やはり山田由梨(劇作家・俳優)が言う通り「女性を意思を持った一人の人間として扱い、女性たちが『産める』と思える社会を作ること」が唯一の処方箋なのだ。それを地方自治体任せにしてはいけないだろう。
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