気になる言葉「におう」

9月5日

 二十年余り前の話だが、TVで「これ、におってみ」と言っているのを聞いて意味が分からなかったことがある。しばらく考えて、「この匂いを嗅いでみろ」と言っていることは分かったが、このように「においをかぐ」という他動詞として、「におう」を使っているのを聞いたのは初めてだった。その後、何度も耳にするようになり、今ではあまり驚かなくなった。
 手元にある「広辞苑第六版」によると、「におう(匂う・臭う)」とは、「(ニは丹で赤色、ホは穂・秀の意で外に現れること、すなわち赤などの色にくっきり色づくのが原義。転じてものの香りがほのぼのと立つ意)」として、

1木・花または赤土などの色に染まる。 2赤などのあざやかな色が美しく映える。 3よい香りが立つ。 4悪いにおいがする。臭気がただよう。 5生き生きとした美しさなどが溢れる。 6余光・恩恵などが(周囲に)及ぶ。 7(染色・襲(かさね)の色目などを)次第に薄くぼかしてある。 8雰囲気として感じられる。かすかにその気配がある。

という語義を挙げ、他動詞としては、「美しく染めつける」という語義のみを載せている。つまり、「においをかぐ」という意味の「におう」は載っていない。
 分かりやすいのが「明鏡国語辞典」で、末尾に他動詞として、

[俗]物のにおいをかぐ ▶西日本の方言が放送やネットを通して広がったもの。

と書いている。この明鏡国語辞典は、新語や俗語、誤用の説明などを多く載せていることで知られる辞典だ。
 もっとも、この「におう」の他動詞用法は最近のものというわけではないようだ。小学館の国語大辞典にも、「匂いをかぐ。かぎわける」として載せてあり、「徳利匂ふて酢を買にゆく」という芭蕉の俳諧連歌での用例を挙げている。芭蕉は伊賀国(三重県)の人だし、俳諧は俗語・俚言(=方言)を用いる。江戸時代にはすでに西国で、この言い方はあったということのようだ。
 広辞苑にもあるように、「におう」とはもとは視覚から出た言葉で、万葉集、大伴家持の
「春の苑(その)紅にほふ桃の花 下照る道に出で立つ少女(をとめ)」
の歌のイメージ。そこから花の匂いを表す言葉に移り変わってきたのである。一部方言として「においをかぐ」意で用いられるようになり、それが「明鏡」が指摘するように放送やネットによって全国に広まったのだ。今では関東出身者でも、抵抗なくこの意味の「におう」を使っているようだ。
 先日はNHKの女性アナウンサーが、「これをかおってみてください」と言っていて驚いた。おそらく彼女は最初「におってみて」と言おうとして、失礼な言い方だと思い、いわば敬語表現として「かおる」を使ったのではないだろうか。言うまでもないが現在のところ、いかなる辞書にも「香りをかぐ」という意味での「かおる」は載っていない。言葉というのはこうして変わっていくのであろう。

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