「鬼滅の刃」というタイトル

9月8日

 最初に断っておくが、僕はこの作品を、映画・TVアニメ・漫画のどれ一つも全く見たことがない。だから当然、作品の内容をあげつらうつもりはない。ここで話題にしたいのは「鬼滅の刃」というタイトルについてである。いやむしろ、「鬼滅」という言葉についてのみである。
 漢字の二字熟語は、①主語と述語、②修飾語と被修飾語、③並立・対立関係、④動詞と目的語または補語、の四つにほぼ大別される。この「鬼滅」の場合は名詞+動詞であるから、①と考えるのが順当だろう。つまり「鬼が滅ぶ」。ちょうど「仏滅」と同じだ。
 しかし、刃という語が後に続いている。この「刃」によって鬼が滅ぶならば、「鬼を滅ぼす刃」ということだろう。その場合は前記④の関係になり、「滅鬼」とならなければならないだろう。「鬼滅」は誤りだ。
 実はこの話自体はこれで終わりなのだが、最近ネットニュースを見ていて、「撮入」という言葉を見かけた。調べてみると、「クランクイン」を意味する言葉で、映画やドラマの業界では以前から普通に使われている言葉らしい。僕は強烈な違和感を覚えた。「入撮」ならまだわかるが、撮入はおかしい。「入場」「入門」「入学」など、「入」という動詞は、その対象を後に従えて、④の形の熟語を作るのが普通だからである。そんなことに目くじらを立てるなという声が聞こえてきそうだ。こういう言い方に違和感を持たない人の方が、今はむしろ多数派なのかもしれない。だが僕には、こういう傾向は「漢文離れ」が引き起こしているように思える。
 最近、学校教育に古典は不要なのではないかという意見を目にすることが多い。中でも漢文は特に風当たりが強い。もともと日本のものではない上に、漢文を学んでも中国語ができるようになるわけでもない。なぜ学ぶ必要があるのかという疑問には確かにそれなりに説得力がある。
 僕の考えでは、漢文とは本来は外国語である中国の古典を、昔の日本人があれこれと訓読法を工夫して、苦労して日本語として読んだものだ。その過程で多くの漢語(中国語に由来する熟語)を日本語の中に取り込んでいった。そうやって日本語を豊かにしてきたのである。だから漢文は日本語のルーツの一つであり、立派に日本の古典なのである。これを学ぶことで今我々が使っている言葉と過去が繋がるのだ。
 今後、漢文に全く触れることなく卒業してゆく人が増えれば、遠くない将来、「学校に入るのを入学というのはおかしい、『学入』でいいじゃないか」「登山はへんだ、『山登』だろう」と言い出す人が増えると思う。まあ、それも含めて言語は生きているのだが。
 これを書くにあたり、ウィキペディアで「鬼滅の刃」を少し調べてみた。物語の舞台は大正時代とあり、「鬼殺隊(きさつたい)」が活躍するらしい。だが、大正時代の感覚ならばこのネーミングはあり得ないだろう。当然「殺鬼隊」となった筈だ。(昭和のアニメ「ルパン三世」では五右衛門の武器は斬鉄剣だが、いまなら鉄斬剣になるかもしれないということか…)

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