2022年の仕事始め

食、趣味、その他

1月6日

 我が家の年末年始は十年一日どころか、二十年一日である。大みそかは朝食もそこそこに煮物作り。これはもう三十年くらいやっている。前日から冷水で戻しておいた大分産のどんこ椎茸を、つけ汁で煮て、砂糖・酒・醤油で煮詰める。里芋は上下を落とし、面を取って厚めに皮をむく。きれいに仕上げたいので傷んだところは取り除くのだが、スーパーの大袋の里芋には必ず一個か二個はピンク色に変色した里芋が入っている。こういうのはいくら長く煮てもトロっとした口当たりにはならないので捨てるしかない。茹でこぼしてぬめりを取り、紙蓋をして煮含める。金時にんじんは梅型で抜き、ねじり梅にして下茹で、甘めの出汁で煮る。手綱蒟蒻と牛蒡はそれぞれ下茹で、茹で筍、結び昆布と合わせて少し濃いめに味付けした出汁で煮る。最後に筍だけ取り出し、鰹節と醤油を足してさらに煮詰める。
 他のおせちはすべて市販。家で作ってみたり、セットのものを買ったりしたこともあったが、多すぎて妻と二人では食べきれないので、それぞれの好きなものを少しずつ買うようになった。
 大みそかの夜は鴨鍋が決まり。締めは蕎麦にする。だし汁は漉して取っておいて元日の雑煮に使う。三が日は雑煮とおせち(と酒)。僕は千葉の市川、妻は横浜出身なので、雑煮は焼き角餅に澄まし汁の関東風だが、醤油は和歌山県の薄口を使っている。三日の夜はおせちの残りをぶち込んだ煮込みうどん。この習慣がもう二十年くらい続いている。

2022年の仕事始め

 4日からは世間は仕事始めなので、僕も始動。古文書学習はNHKの通信講座、今年度最後のレポートに着手する。ヴォランティアのほうは、頼まれている資料の音訳。マイナンバーカードに関する本二冊(一冊は批判的、もう一冊はどちらかというと肯定的)。
 最近TVを見ているとやたらと政府によるマイナンバーカードのCMが目立つ。利便性を強調しているが、紛失が怖い。今のところ困った話はあまり聞かないが、それはみんな大事にしまい込んでいるからで、今後健康保険証や運転免許証としても使い、コンビニでも使うようになれば紛失は増えるだろう。
 マイナンバー構想は、そもそも社会保障費の削減が狙いなのだし、「健康管理をしっかりしている人には自己負担を減らす」というのは、言い換えれば「自堕落な生活をしている者は切り捨てる」という発想なのだ。銀行口座を紐づけにするのは、国民の資産把握が狙いなのだろうが、そもそも捕捉されにくい固定資産や海外資産、貴金属や美術品などをしこたま持っている富裕層の資産は把握できない。そして、何より心配なのは個人情報の流出だろう。これは、必ず起きると思った方がいいが、最悪の想定はなされているのか。原発事故のその後、コロナ対策の後手後手などを見ても、この国の政府には最悪を想定した危機管理の発想が乏しいようだ。言霊信仰の国だからか、悪い予想を口に出すものは迫害されるのである。

重い年賀状

 拙宅に届いた僅かな賀状のうち、大学教員である畏友Hからのものが今年は重かった。Hは毎年、年頭の所感を細かい字で送ってくるのだ。学生たちが「とても狭量な、つまらない居心地の良さだけを求めるようになった」ことに「20年、常に人育ての防衛線に立たされてきた」自分にも責任があるのだという。それなら30年高校で教えてきた僕にも同様、いやそれ以上の責任があることになりはしないか。
 僕が痛恨を感じるのは、生徒たちよりも、むしろ後輩である若い同僚たちに対してである。
 僕が教員になって驚いたのは、生徒の指導方針をめぐる会議でいきなり意見を求められた時だった。それも取りあえず聞いてみようというような聞き方ではない。大学を出たての新人も何十年のベテランも責任は同じ。誰もが同じ責任を負って生徒と向かいあうのだと教えられたのである。
 今の新人たちは全く違う。ホウレンソウだかチンゲンサイだか知らぬが、指導教員だか上司だかにいちいちお伺いを立てなければならない。その上研修漬けで教材研究の時間も取れない。どうしてこうなったのか、僕に何かできたのか。何をすべきだったのか(あるいは何をすべきでなかったのか)。
 せめてと思い、「昔はこうだった」という話をしても若い世代には刺さらない。あたり前だ、もうあの頃に戻ることはないのだから。突飛な喩えだが、にんにくが食べられない人に向かって、「人生損しているよ」と言う人と同じだ。相手は嫌いなものを食べないだけ、何の痛痒も感じていないのである。同じだけの責任を持てと言われても戸惑い、反発を覚えるだけだろう。とりあえず上から言われたことに素直に従っておく方がはるかに楽なのだ。
 いずれにせよ、偉そうなことは言えない。僕は「防衛線」を捨て、謂わば「敵前逃亡」した人間なのだから。そんなことを考えながらTVをつけると、よりによって「相棒」の「ボーダーライン」を再放送していた。すぐに消したが、ストーリーはすべて思い出してしまった(これがどんな話かは、検索すればすぐに出てくるだろう)。
 新年早々、なんだか暗い話になってしまったが、とにかく僕は何らかの形で表現を続けていきたいと思っている。今年中には第二詩集を出すつもり(性懲りもなく)。

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