2月8日
今年は横溝正史ブーム再来の年になるかも知れない。三月にNHKで新作の「悪魔の手毬唄」が90分×2回で放映され、秋には松竹系でやはり新作の「八つ墓村」が全国公開されるという。(以降、両作品の原作及び過去の映像化作品のネタバレを含みます)
僕の「悪魔の手毬唄」への偏愛については過去に三回にわたってこの欄で語った(2022.1・21~26)。その最後に、NHK版への期待を語っている。「ドラマ化第7弾はNHKになるのではないかということだ。「八つ墓村」でも(省略されることが多かった)典子を描いてくれただけに、原作に近いドラマにしてくれるのではないかとちょっとだけ期待している」というものだった。実は2019年のNHK版「八つ墓村」のラストで、(「悪魔の手毬唄」に登場する)「亀の湯」という言葉が出ていたため、次回作は「悪魔の手毬唄」という観測があったのだ。実際には「犬神家の一族」だった。この作品についても①と②の二回に分けてレビューを書いている(2023.4・25~5・01)が、①は期待と称賛、②は失望のトーンが色濃く出てしまっている。NHKの横溝長編シリーズ(今作で5作目、最初の「獄門島」のみ長谷川博己が金田一、2作目の「悪魔が来りて笛を吹く」からは吉岡秀隆)は、毎回かなり大事なところで原作を改変しているので、今回もそうならなければいいと危惧している。NHKには同じ横溝原作の『横溝正史短編集』というシリーズ(金田一役は池松壮亮)もあって、こちらは原作をかなり忠実に再現してくれている。是非そうあってもらいたいものだが。
すでに不安材料として、今回の新作「悪魔の手毬唄」は、昨年の11月から12月に収録されたということがある。原作では昭和30年の夏の出来事であり、美しい村の夏の風物詩が大きな魅力なのだが、名作とされる1977年度版の映画では市川崑監督はこれを冬に改変し、以来冬ざれた寒村のイメージが強くなってしまっているのだ。
これも以前書いたことだが、この映画では結末を大きく改変している。原作の犯人は最後まで殺人計画の遂行にこだわるが、映画では誤って我が子を手にかけてしまったことに気付き、悔いて入水自殺する。また、主要登場人物の一人である多々良放庵を原作以上に下劣な恐喝者にしている。これらは犯人を「悲劇の主人公」にするためであった。以降の作品も多くこれを踏襲している。磯川警部の犯人への恋心を描くことも定番になっている。2019年のフジテレビ版(加藤シゲアキ主演)では、磯川に犯人の逃亡幇助までさせてしまっている。この2019年版は特に改変が多いが、その典拠は1977年度版をはじめとする過去の映像作品のようだ。この脚本家がまともに原作を読んだのかすら疑わしいと僕は思っている。
一方で新作の映像の美しさには期待している。これまでの映像化で、ストーリーはともかく映像で原作の雰囲気に最も迫っていたのは、93年のフジ版(片岡鶴太郎主演)なのだが、当時はTVドラマがVTR制作されるようになった初期で、当時のビデオの規格では高精細な映像は望めず、特に闇の部分が白っ茶けてしまうという弱点があった。今はテレビでも映画に遜色ない再現が可能になっている。
次に「八つ墓村」。こちらは秋に全国公開というだけで、キャストや監督等も現時点では全く不明である。唯一公開されているビジュアルは、不気味な八つの墓ということで、同じ松竹ということもあり、いやでも77年度の映画を思い出してしまう。カドカワ・東宝の石坂金田一に対抗して、松竹が大ヒット映画「砂の器」の野村芳太郎監督×橋本忍脚本で作った超大作映画である。二年以上の製作期間をかけて、全国の鍾乳洞でロケを敢行したという触れ込みで、濃茶の尼が「たたりじゃ~」と叫ぶTVCMでも話題になった(ちなみに原作では濃茶の尼はこの言葉を発しない)。僕は期待して見に行ったが、正直がっかりだった。僕は当時高校一年生だったがこれは大駄作というより愚作と思った(あくまで個人の意見ですよ)。
この映画では、八つ墓村の名の由来となった、村人による尼子の落ち武者謀殺の部分をかなり克明に描いている。さらに、落ち武者謀殺の首謀者の子孫である多治見(原作では田治見)要蔵の三十二人殺しの場面もあるのでこれだけでかなりの尺を取ってしまっている。横溝は「日本のディクスン・カー」と言われるように、怪奇趣味横溢する作風だが、骨格は本格推理である。この作品はそれに加えて宝探しの冒険譚でもあり、ラブロマンスの要素も加えた上質なエンターテインメントになっているのだが、映画ではホラー要素以外を全部排除してしまった。ロマンス部分のヒロインである典子は登場しない。
驚くべきことは、本当に「たたり」の話にしてしまったことだ。クライマックス場面で犯人は悪霊が憑依した鬼のような形相に変貌するし、多治見家への復讐が成就すると落ち武者たちの亡霊が現れて本懐を遂げたことを喜ぶというオチまであった。
1996年の市川崑版では、典子役に喜多嶋舞をキャスティングしているが、主人公と恋仲にはならず、宝探しもない。さすがは市川崑という感じで導入部の作りは非常にうまいのだが、途中でなぜか失速してしまう。観ていて睡魔に襲われてしまった(これもあくまで個人の感想ですよ)。
TVドラマでは2004年のフジ版(金田一役は稲垣吾郎)が、典子は登場しないもののコンパクトにまとまっていた。この作品の美也子(演・若村麻由美)は一番原作のイメージに近かった。2019年のNHK版には典子が登場する(演・佐藤玲)が、村上虹郎演じる辰也は、美也子(演・真木よう子)の妖しい魅力の虜になっていて、典子に対しては疑いの目を向けていた。ラスト、典子は村を去る辰也について列車に乗り込むが、その際に大きな袋を持っていた。その中に財宝が入っていることを暗示しているのだろう。また、この作品では美也子は最初から夫を毒殺した疑惑の渦中にいて、いかにも悪女然としているのは、謎解きミステリーとしてどうなのか。ラストの小竹の自殺も蛇足。
結局、二時間程度の尺でこの作品の魅力を余す所なく伝えるのは所詮無理なので、どこを削るかなのだが、落ち武者の亡霊などを延々と見せられてはたまらない。可能な限り原作に忠実な映像化を期待したい。

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