気になる言葉「稟議」

詩、ことば、文学

12月10日

 TVのCMで橋本環奈がこの言葉を発していた。ビジネス用コンピュータソフトのCMでは、若い女の子がにこやかに「安否確認」だの「勤怠管理」だのと言うのにいちいち引っかかっていたのだが、中でもこれは気になった。僕は長く高校で国語を教えていたが、この言葉が教材に出てきたことはない。学校では習わない言葉なのだ。「稟」という字は常用漢字表にも入っていない。
 いくつかの辞書にあたったところ、「稟議」とは「官庁や会社で、会議を開くまでもない事項について、担当者が案件を関係者に回して承認を求めること」であり、「ひんぎ」が正しく、「りんぎ」は慣用読みとされる。「稟」という字には「(天命を)受ける、(天子に)奏上する」という意味があり、もともと戦前によく使われた言葉で、天皇を煩わさず、臣下で回覧して決めるということからこの言葉が使われたらしい。日本に特有の集団無責任体制を象徴しているという意見もある。なぜこんな言葉が現代まで生き延びているのか。もっと違う言葉もあるだろうに。
 言いたいことはこれでほぼ尽きたのだが、例によって脱線する。「稟議」は欧米にはないやり方だとよく言われるが、その代わり欧米はトップダウン型の意思決定が多いとも言え、それだけで「稟議」がダメとは言えない(僕がこだわっているのはあくまでコトバだ)。僕が気になるのは「会議を開くまでもない事項」とは誰がどうやって決めるのかということだ。
 僕は1984年に都立高校の教員になった。当時の都立高校では毎週一回、職員会議が行われていた。学校にもよるが議長は輪番のところが多く、新人は一回目は免除されたが(よく見ておけという意味だろう)二巡目からは議長をさせられた。まず最初に各分掌等からの報告事項、そこに疑義や反対意見が多ければ審議事項に回す。そして審議。学校内のあらゆることが議題になり、会議は時に深夜に及んだ。差配を間違うと「おかしいぞ」、「議長、しっかりしろ」と容赦ないヤジが飛ぶこともあり、議長の時は特に緊張した。
 30年近く前、住んでいたマンションの管理組合の会議に出たことがある。理事長だか会長だか、とにかくトップの人が自分で司会をしていたのにまず驚いた。すると、議案に対してとうとうと反対意見を述べる人がいる。だが、司会は会長(だか理事長だか)で、議案提出者も兼ねているので全く話が進まない。見かねて僕が「原案に反対なら、修正案をお出しになったらいかがですか」というと、彼は途端にトーンダウンして、「いやそれはいい」という。理事長(だか会長、くどい)が気に入らず、ただガス抜きのために長々としゃべっていたものらしい。なんだか馬鹿らしくなってしまって、以来会議に出るのをやめてしまった。それでも、そのマンションは管理組合が機能しているだけ、まだましだったのかもしれない、当時築二十年を超えたマンションで修繕積立金も高かったが、住み心地はよかった。最近前を通りかかったが半世紀以上を経て健在で、塗り直したばかりなのか、外壁はきれいだった。
 都立高校の職員会議に戻ると、2006年に都教委により挙手採決が禁止する通知が出され、事実上無効化されてしまった。いま日本のどこを探してもあんなに熱い会議をしているところはないのかもしれない。営利目的の企業ならなおさらそんなことに時間をかけていられないという声が聞こえてきそうだ。だが現代でも、新しいことにチャレンジして成長しているような企業は、「稟議」ではなく、生の声でやり取りをしているのではないか。そんな気がしてならない。

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