「ニッポン」か「ニホン」か

詩、ことば、文学

7月23日

 ヤフーニュースを見ていたら、国語辞典編纂者の飯間浩明が、X(旧ツイッター)で、「7月20日のテレビ朝日『池上彰のニュースそうだったのか!!』で、『日本』の読みが『ニッポン』から『ニホン』になったのは〈せっかちな江戸っ子が早口で話し〉たためと解説したが、これはきわめて明白な俗説中の俗説で、『※諸説あり』と断ったとしても、テレビで放送すべきではありません。『諸説あり』という表現は、専門家が真実を追究して、それでもなおいくつかの説に分かれる、という場合にこそ使うべきです。専門家なら『それは事実に反する』とあっさり否定できるような説を『諸説』の中に加えるべきではありません。『諸説あり』がフェイクを拡散させる免罪符になってはいけません」などと主張したという記事が載っていた。
 僕はこの番組を見ていないが、池上彰は番組の中で、「ニッポン」「ニホン」について、政府が09年に「統一する必要はない」と見解を表明したことを紹介した上で、「諸説あるんですけど、ニッポンと言っていた時代、江戸時代、せっかちな江戸っ子が早口で話しているうちに『ニホン』となって広がっていった、とも言われています」と伝えていたのだそうだ。
 僕はこの説は知らなかった。東京では「日本橋」を「にほんばし」と呼び、大阪では「日本橋」を「にっぽんばし」と呼んでいるところなどから、誰かが考えついた巷説なのであろう。
 飯間は、「江戸時代の前の時代からすでにnifonの発音があったので、江戸時代にもnifonまたはnihonがあったことは疑いありません。私が指摘するのは、『ニッポン』が江戸時代にせっかちな江戸っ子の早口によって『ニホン』になったわけではないよ、ということです」とも言っていると記事にはあった。
 これに関しては完全に飯間が正しいと思われる。池上は、本来の結論である「『日本』の読みは、『ニッポン』でも『ニホン』でもどちらも正しく、どちらの読みも広く普及しているため、どちらか一方に統一する必要はないというのが政府見解になっている」で終えていれば良かったのに、ちょっとしたトリビアのつもりで半端な知識をひけらかして、専門家に指摘されてしまったという構図だろうか。僕は「諸説あり」がフェイクを拡散させる免罪符になってはいけないという飯間の主張にも完全に同意する。僕も以前、「ゴジラは観音崎に初上陸していない(21.12.20投稿)」で同様の主張をした(問題のレベルは大分違うが)。
 さて、日本という国号が登場するのは、7世紀ごろのこととされる。僕は「魏志倭人伝」などで知られる「倭」と「日本」は、本来別の国だったという史観に賛成する(21・8・06、8・26投稿)が、それはさておき、この国号は、地名から「やまと」、字義から「ひのもと」と発音されていた。漢字の「音読み」が日本でも多く使われるようになると「ニチホン」「ニッポン」という読み方が誕生した。「ジッポン」という読み方もあり、これが「JAPAN」の元となったのだ。さらに、平安時代にはすでに「ニホン」という読みも生まれていたとされている。前記の飯間は「「もとの『nippon』系から『nifon(nihon)』系が生まれた理由のひとつはp→fという子音弱化ですが、もうひとつ、『持ちて行く→持って行く→持て行く』のような促音の脱落も理由でしょう」と説明している。「ニホン」はまさに日本的で音が柔らかなので和文系、力強い「ニッポン」は漢文系と使い分けられてきた。統計があるわけではないが、僕(1961生まれ)の感覚だと、単に「日本」とだけ書いてあれば、「ニホン」と発音するように思う。だが、最近は「ニッポン」が優勢になってきたように感じる。
 折しもパリ五輪が近づいているが、「がんばれ、ニッポン」というように、スポーツの応援などには「ニッポン」の方が向いているのだ。促音の「ッ」に続く破裂音の「ポ」に力が入りやすいからだ。
 話は少し逸れるが、この「促音」というのは不思議な音だ。同じく小さく書く拗音(「ゃ」「ゅ」「ょ」)と違い、促音は原則発音しない。約半拍分の休止(無音)が促音の正体である。強い破裂音(この場合は『ぽ』)の前の準備と言うか「溜め」がこの促音なのである。これにより、「ポ」の部分が強調され、力強くなる。勇ましく、いかにも強そうになるのだ。
 単なる好みの問題かもしれないが、僕は勇ましい「ニッポン」より、なだらかでたおやかな「ニホン」の方が好きだ。井上ひさしは、「日本国憲法のよみにも合うから」と言っている(「ニホン語日記」文藝春秋刊)が、それにも賛同する。

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