気になる言葉「風評」

詩、ことば、文学

8月28日

 この言葉を「小学館国語大辞典」で引くと、「世間であれこれ取り沙汰すること。また、その取り沙汰。評判。うわさ。風説」とある。ここで注意してほしいことは、ここには特に価値判断は含まれていないということだ。他の辞書も見ると、個性的な語釈で有名な「新明解国語辞典」では「(よくない)うわさ」としているのが目立つぐらいで、あとは大同小異である。広辞苑は語釈にはネガティブな要素はないが、「とかくの―がある」という用例を載せている。この場合はやはり「よくないうわさ」だろう。
 それほど日常的に使われるような言葉ではなかったと思うのだが、よく使われるようになったきっかけは2011年3月の東日本大震災(というより、それに伴う福島第一原発事故)であろう。当時は報道でこの言葉を聞かない日はないほどだった。そして最近、福島第一原発の汚染処理水の海洋放出をめぐって、またこの言葉を聞くことが多くなった。
 「風評被害」という言葉には、当時とても違和感があったことを記憶している。ここでの風評は当然ながら「悪評」である。広辞苑の用例にある「とかくの風評がある」の場合は、もともとその人物なり団体なりに問題があり、いわば「身から出た錆」で悪評が立つというイメージが強い。それが「風評被害」といった場合には、「根拠の不確かな噂、科学的根拠のないデマによる悪評」という意味に変わってしまうのである。この言葉は、商品等の安全性に不安を感じた消費者の「買い控え」による経済的損失を指す言葉として使われ始めたのだと思うが、そもそも買う買わないは消費者の自由である。「被災地支援のために福島県産物を買いましょう」というのは尊いことでも、それをしないからと言って非難することは誰にもできない。
 消費者はそれぞれ自分なりの判断で、リスクを避けようとしている。元々リスクの捉え方は人によってさまざまだ。それを「風評被害」と言ってしまうと、消費者は風評に惑わされるようなあまり賢くない人々だと言っていることになる。科学的根拠のない悪評だと言いたいのなら、はっきり「デマ被害」と言えばよい。それでは表現が強すぎると思って、結果的に消費者を侮辱するような「風評被害」を選んだのだとすれば最悪だ…というようなことを当時考えたのである。
 最近ニュースを読んで驚いたのであるが、民主党政権時に、原子力防災担当の大臣だった細野豪志(現在は自民党)が、処理水の海洋放出に反対する人々について、「科学的には決着がついていたのに『風評加害』に屈してきた面があった。これ以上、科学が風評に負けるわけにはいかない。」等と発言していた。「風評被害」はいやな言葉だと思っていたのだが、今度は「風評加害」とは…。Wikipediaで調べてみると「風評被害」の項に、「科学的根拠への無理解・軽視によるデマや不安を拡散する行為を『風評加害』、その行為をするマスコミ、政治家や政党およびその支持者、市民団体や活動家などを『風評加害者』と呼ぶ」と書かれており、さらに驚いた。少なくとも最後の「呼ぶ」の部分は、「呼ぶ人もいる」乃至「呼ぶ人も現れた」が正しいと思うのだが…。
 細野は「科学的に決着がついていた」と言っているが、異論も多い(ここではあえて深入りしないが)。何より問題だと思うのは、行政と異なる意見を持つ人々を、加害者呼ばわりしていることだ。政治家の言葉として許されるものではないと思う。

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