昭和記念公園

旅、人物

10月18日

 秋晴れというにはやや気温が高い一日、国営昭和記念公園に行った。
 コスモスを見に行ったのである。それなりに人は多いが、とにかく広い。そして最近では意外なほど外国人客がいなかった。10年ほど前に「ひたちなか海浜公園」にコキアを見に行った時も、もっと前に仙石原にススキを見に行った時も、あたりは外国人客ばかりだったのに。ひょっとするとコスモスは日本ほど外国では人気がないのだろうか。
 日本人のコスモス好きというと、思い出されるのはやなせたかしの「コスモス一騎」というメルヘンである。美少女の姿になったコスモス軍が、侵略軍のセイタカアワダチソウと戦うという話だった。このメルヘンが書かれた頃には、外来種のセイタカアワダチソウが日本各地で猛威を振るっていたが、その後激減した。植物界の栄枯盛衰を見るようだ。
 やなせたかしはセイタカアワダチソウを外来の侵略者に見立てたが、コスモスだって日本に入って来たのは江戸時代の末期だから外来種である。最近外来種の動植物を問題視することが多いが、そんなものは人間側の都合に過ぎない。そもそも、鯉だって菊だって元は外来種なのだ。
 とまあ、例によって脱線がはなはだしいが、コスモスは僕も好きだ。派手さはないが清楚な感じがいい。
 昭和記念公園へは立川駅からも歩けるが、青梅線で一駅の西立川駅からなら西立川ゲートが目の前だ。散策が気持ちいい。気温は高いが木陰は涼しい。そして「みんなの原っぱ」がいい。これだけの空き地は都会には珍しい。

 ここは米軍立川基地の跡地を整備したものだ。立川基地というと、松任谷由実の「LAUNDRY-GATEの想い出」を思い出す。この曲を初めて聞いた頃は、何が歌われているのかよくわからなかった。実はこのランドリーとは基地の中にあった巨大な洗濯工場のことで、この洗濯工場最寄りの基地出入り口をランドリー・ゲイトと呼び、その周辺を表す地名としても使われていた。比較的最近までバス停の名前でもあったようだ。歌詞はこの基地内に住んでいた女の子との交流を歌っている。幼い頃のユーミンにとってはアメリカ文化の窓口であり、その交流が、後にそれまでの日本にはあまりなかった垢抜けた歌詞やメロディーに結実していくわけだ。その交流の元となった基地の繁栄は、ヴェトナム戦争に支えられていたというのは皮肉な話だが。
 ただしこのランドリーゲートや洗濯工場のあたりというのは、今回訪れた昭和記念公園ではなく、その西側である。歌詞にも「ふた駅ゆられてもまだ続いてる錆びた金網」とあるように東中神駅のそばだったらしい。
 公園の東側には立川広域防災基地がある。映画「シン・ゴジラ」で、都心が焼け野原になった後、官邸や政府機関が移転して来ていたのがここだ。
 米軍立川基地、その元となった日本軍の立川飛行場はそれほど広大だったということか。
 僕たちのまわりには軍事遺構が多く残っている。僕たちが育ってきた間、それは隠されてきていたのだと、原っぱで遊ぶ子供たちを見ながら考えていた。

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