社会の昏さ

食、趣味、その他

3月26日

 ずいぶん以前(具体的には先月の13日)の朝日新聞に、法哲学者の安藤馨が「手続き軽視の暴力、日本に分断の兆し」という論文を載せていた。安藤は、21年に群馬県草津町の町長が町議から性加害を告発され、激しいバッシングを受けたが、のちにこれが虚偽であることが判明したという「事件」を例に引いて、「町長をバッシングした側が『我々は元町議にだまされた被害者である』と主張するとしても、町長との関係での加害者性は何ら減じるものではない。何らかの理由で共感を得た方の主張は証拠抜きに丸のみされ、そうでない方の反論はただ無視される。そこに表れているのが手続きの軽視の問題である」と指摘している。
 安藤はさらに、「自身に好都合であるならば手続きによって統制されない暴力の発動を歓迎し、自身に不都合であるならば(しばしば社会的圧力という手段によって)暴力的にそれを覆すことも当然であるという手続き軽視の態度が法の支配と民主政を毀損しつつある(中略)この種の軽視が個人を標的として集団化すれば――左右で実際そうなりつつある――『キャンセルカルチャー』が生まれ、更に極大化すれば二極的な分断にいたることになる」とも述べ、そういう現況を「我々の社会の昏さそのものである」と断じていた。
 この「社会の昏さ」という言葉にやられた。まさにその通りだと思った。
 最近のキャンセルカルチャーの例としてまず思い浮かぶのは、亀田製菓への不買運動である。きっかけは、インド出身のCEOが、フランスの通信社の取材に答えて、日本の労働力不足の解決策として海外から人材を受け入れることが重要だと述べたことだった。これにSNSが反応し、批判が拡散したのだ。「原材料すべてが中国産」などというデマまで飛び交い、株価も下がった。
 二極的分断ということで言えば、以前にもこの欄で触れた兵庫県知事をめぐる問題で、これはまさに現在進行形だ。ネット上の言説が過激化するのは、炎上を積極的に取り扱うインフルエンサーやネットメディアの存在も大きいと思われるが、それにしてもどうしてこうも簡単に炎上や二極分断が起こるのか。
 「社会の昏さ」の背景には言うまでもなく、今の社会に不満を持つ人が多いことがある。だが、それぞれの不満は当然ながら千差万別であり、全員の不満を一挙に解消する名案などあるはずもない。「幸せ」とは「仕合せ」つまり巡り合わせであり、誰かの「仕合せ」は別の誰かの「不仕合せ」にもなるからである。しかし多くの人々は、「単純な一つの理屈で一挙にすべてを解決する政策」を求めがちだ。「財務省解体デモ」がその典型である。3月20日の「朝日」では、伊藤昌亮成蹊大教授の次のような意見を載せていた。
 「財政の仕組みは複雑で、悪いのは富裕層なのか自民党なのか誰なのか、よく分からない。自分たちだけがどんどん苦しめられている/『逃げ場がない』どうしようもなさ、怒りをぶつける先がないという気持ちは、とてもよく分かります。そして、矛先が財務省や外国人に向かうわけです。『裏で仕組んでいるのは財務省の緊縮財政主義だ』というのは非常に単純な考え方ではありますが。(中略)各自がSNSで『自分で』証拠を見つけてくる。現在のSNS環境では、探すといっても同じような情報ばかりになりますが、それでも人から聞いたのではなく、自分が『主体的、能動的に』探し出した情報だから、信念も強固になります/更に、(SNSの)『ナラティブ(物語)』づくりの機能を挙げるべきでしょう。人を誘引する力がとても強い。『財務省がマスメディアと結託して外国人にお金を回している』というストーリーなどが、まさにそうです/いま、我々が入手できる情報は複雑、膨大すぎて、どう整理していいか分かりません。しかし、ナラティブは世界観を整理し、ものを考えるフレーム(枠組み)を与えてくれます/フレームを通して複雑な社会を見ると、自分の苦しみの原因が分かりやすく整理されて見えます。『すべては財務省のせいだったんだ』と。単純な枠組みを与えられるのはうれしいものです」
 この記事には、古谷経衡がコメントを寄せ、「財務省悪玉論」を提唱したのが安倍元首相を支持する人たちであったと指摘している。
 「消費税を増税したのは安倍元総理の決断ではなく、財務省の強大な圧力であるとすれば、安倍元総理は免罪される。よって第二次安倍政権への擁護を続けるために、苦肉の策として生み出されたのが『悪いのは安倍総理ではなく財務省だ』という理屈だった/当時は”安倍応援団”の中でもとりわけネットでの活動を得意とする憲政史家などが、根拠がほとんどないにもかかわらず財務省内の高級官僚を名指しして指弾するキャンペーンの旗振り役になった。それに影響されたネットユーザーが、財務省前などで抗議活動を始めた」
 以前、森永卓郎の「ザイム真理教」を取り上げた時(2023・9・21)に、僕も同様の指摘をした。
 デモでは、財務省の庁舎に出入りするスーツ姿の男女に「税金泥棒」などと罵声が飛んだともいう。見当違いの見立てで「仮想敵」にされてしまった人々が不憫でならない。これもまた安藤の言う「手続き軽視の暴力」に他ならない。

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