昭和ロンダリング

食、趣味、その他

9月3日

 先月の末、大学時代の友人たちと会を持った。卒業後もうすぐ丸四十年を経過するのだが、会って酒を酌み交わせば、あっという間に当時に戻るから不思議だ。この日集ったのは、高田馬場の栄通りにある「清龍」という居酒屋(僕はずっと「清」だと思っていたのだが、正しくは「清」だった)。生ビールで乾杯した後は、「清龍」ブランドの純米酒を飲んだ。口当たりよく、飲みやすい酒で、翌日にも残らなかった。ネットで調べると、埼玉の蓮田に蔵を持つ酒造会社の直営店とあった。
 なぜこんなことを書くかというと、僕の記憶にある「せいりゅう」とはだいぶ違っていたからである。僕は大学時代ここによく通っていたのだが、その理由はこの店が、大衆的な居酒屋が多い栄通りの中でも格段に安かったからだ。安さにはちゃんと理由があり、当時ここで提供されていた酒は「合成酒(=アルコールに糖類や香料などを加えて、清酒のような風味にしたもの)」だったのだ。店側も堂々とそう謳っていた。安いのは良いのだが、この酒を一定以上飲むと必ずと言っていいほど記憶が飛ぶ。店内は僕同様に安さに惹かれてきた貧乏学生が多く、結果、死屍累々というありさまになるのであった。トイレの床に顔を付けて伸びている若い女性を目撃したこともあった。
 僕の学生当時は、「合成酒」でなくても日本酒は結構危険な酒だった。戦中の物資不足に端を発する、いわゆる「三倍増醸酒(=もろみに醸造アルコール、糖類、酸味料などを加えて三倍に増量した酒)」が主流だったからである。僕が「純米酒」というものの存在を知ったのは就職した後のことだし、近所の酒屋で「純米酒をください」と言ったら、「そんなもの置いてないよ」と言われた。そういう時代だったのだ。
 近年はジャパニーズウィスキーが世界で評価され、工場がある白州周辺の環境保全の取り組みなどでも抜群の企業イメージを誇る「サントリー」も、当時は大分違っていた。僕が学生当時よく飲んでいたのは、サントリーホワイトだったが、それは旨いからではなく、値段が手ごろだったからだ。この一つ上が角瓶で、これが手に入ったらお祭り騒ぎである。反対に一つ下のレッドは、コーラで割れば何とか飲めるというレベルであった。角瓶のさらに上が「ダルマ」の愛称で知られたサントリーオールドで、高級ウイスキーとして当時圧倒的なシェアを誇っていた
 キリンシーグラム社がウイスキー業界に参入する際、CMで「原料用アルコール不使用」と謳って話題になった。これは実は業界トップのサントリーへの強烈な当てこすりだったのだ。ブレンデッドウイスキーは大麦麦芽から作るモルト原酒と、コーンなどから作るグレーン原酒を混成して作るが、消費者団体が入手した内部資料によれば、当時のサントリーオールドには、モルト原酒のほぼ倍量の「グレンウイスキー」が入れられていた。「グレーン(grain)」ではない。これはサントリー独自の用語で、醸造所のある山崎が峡谷(glen)であることから名付けたという。実態は雑穀から作ったスピリッツで、ほぼ無味無臭のアルコール。つまりこれこそが「原料用アルコール」なのである。モルト原酒も自社製造分では賄いきれないため、海外から樽買いした原酒を混ぜていた(これ自体は別に違法でも何でもない。日本酒の世界でも大手酒造会社の製品は地方の蔵から安く買い叩いた原酒をブレンドするのは当たり前だった。また、輸入原酒を使っても、当時はそれを表示する義務もなかった)。サントリーのブレンダーは優秀だったのだろう。モルト原酒を原料アルコールで増量し、水と着色料としてのカラメル、様々な香味料をブレンドして日本人好みの味を作り出していたわけだ。梅酒の成分を入れていたという話もある(現在のオールドはすべて自社産のモルトとグレーンのみで作られているそうです、念のため)。
 さて、学生時代の僕でも手を出さなかったのが、レッドのさらに下のグレードである「トリス」である。高級ウイスキーのオールドでさえモルトの倍程度の原料用アルコールが入っていたことを思えば、このトリスがどんな酒だったのかは推して知るべしである。だが、このトリスは「トリスを飲んでハワイへ行こう」というキャンペーンで売れまくり、サントリーの基礎を築いたと言っても過言ではない商品なのである(現在のトリスは原料用アルコールを使わず、グレーンを使っているため品質は改善されているそうです、念のため)。
 約四十年ぶりに訪れた「せいりゅう」は、明るく清潔で安心な店になっていた。もちろん、トイレで倒れている女子学生などいない。高歌放吟する若者の姿もなかった。聞けば今は大学生でも学生証などで20歳以上であることが確認できないと、酒類を提供してもらえないそうだ。僕が大学に入った時は、さっそく新歓コンパで酒を飲んだ。そこには担任の教授も参加していた記憶がある。今なら大問題だろう。
 …昭和は遠くなりにけり。

コメント

  1. 小向章市 より:

    貴重で面白いお話ありがとうございます。純米酒が出てきたのは昭和も終わり頃だったと思います。飲みやすさと酔い心地の良さが好きでした。またどんな料理にも合う日本酒ですね。
    原料用アルコールを使用したウイスキーのお話納得でした。いやな味と悪酔いが付いてまわりますね。安かろう悪かろうですので、最低でもブラックニッカクリアブレンドを私は飲むようにしています。キリンシーグラムの名前が挙がりましたが、ロバートブラウンというウイスキーが今も気になっています。お店で見かけなくなって久しいです。
    酒は百薬の長という言葉を実感できるような飲み方をしたいとは思っているのですが、ついもう少しだけという気持ちに負けてしまう自分の弱さ。気をつけなくてはいけませんね。

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