「葛飾民」

11月11日

 朝ドラの「おかえりモネ」をずっと見ていた。テーマを純化させるためなのだろう。やさぐれた人間など出てこない。みんな心に傷を持ちながら、真っ当でかつ優秀な人たちである。百音は三回で気象予報士試験に受かるし、未知もワカメの研究で成果を上げる。父は銀行マンとして優秀だし、母もきっといい先生だったのだろうと思わせる。その他の登場人物も同様だ。地方のコミュニティーの閉鎖性なども(それほど)描かれない。東京にとどまる明日美が、「故郷に帰るのがそんなに偉いのか」と言う場面はあるが、その明日美にしてもコミュニティーからはじかれたわけではない。まあ、いろいろとリアリティーに疑問符はつくものの、「災後」の人々の魂の救済を真摯に正面から描いた良作だと思った。ちょうど戦後文学が、亡くなった人々とどう向き合い、喪失を埋めるかを大きなテーマとしたように。
 作中、気象予報士の朝岡が「僕は冷たい人間だから、何度も災害に襲われる場所に住み続ける人の気持ちがわからない」といった趣旨の言葉を語っていた(うろ覚えだが)が、これは僕がずっと考えてきたことに近い。もちろんいろいろな事情はあるにせよ、僕ならすぐに移住を考えるだろう。僕にはそもそも故郷という感覚がない。TVで、「マツコ千葉愛を語る」というテロップが出ていたので思わず見入ると、何のことはなく、マツコは「千葉には人に必ずここは行った方がいいと言えるようなおススメの場所がないのよね」と言っただけだった。それでもマツコ・デラックス(僕より一回りくらい下)の世代の人間でも郷土愛など持っているのかと思った。僕は25歳まで千葉県に住んでいたが、千葉愛などはみじんもない。県庁所在市の千葉市に行ったことがあまりないせいだろうか。それでは僕の故郷は何処なのか、考えていると「葛飾」という言葉が浮かんできた。
 全国的には、葛飾と言えば東京都葛飾区のことと思われているかもしれないが、本来葛飾とは江戸川の両岸の広い地域で、中世まではすべて下総国葛飾郡だったのだ。その後西岸の地域が武蔵国に編入され、明治以降は東京府下南葛飾郡となり、さらにその一部が葛飾区となったのだ。それに対して僕の故郷は、江戸川東岸の下総国の葛飾郡というわけだ。
 僕の生家は市川市で、京成線の国府台駅と市川真間駅の中間くらい。歩いてすぐのところに真間山がある。手児奈伝説で有名で、古歌に詠まれた。万葉集で葛飾と言えば真間のことと言っても過言ではない。母の実家は二俣というところで、市川市に編入される前は東葛飾郡行徳町だった。最寄りの駅は西船橋だが僕の幼い頃はまだなく、京成線の小駅から歩くか、船橋駅からバスだった。その小駅の名が、今は「京成西船」に変わっているが、当時は「葛飾」だった。この駅のあたりは、船橋市に編入される前は東葛飾郡葛飾町と言い、さらにさかのぼると下総国葛飾郡葛飾村だった。「鯛の鯛」ならぬ「葛飾の葛飾」だった所なのだ。
 僕は6歳で柏市に引っ越し、大学卒業までそこで過ごした。この柏も、市制施行当初は「東葛市」と言った。高校の校歌にも葛飾という言葉があったような記憶がある。その後も、25歳までは千葉県内の旧東葛飾郡の中に住んでいた。つまり僕は「葛飾民」だというわけだ。もっとも、それが何なのか、葛飾にはどんな特徴があり、魅力があるのか。僕には全くわからない。水原秋桜子先生にでも聞いてみなければ。

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