「汝、星のごとく」を読む

詩、ことば、文学

10月11日

 凪良ゆう著「汝、星のごとく」を読んだ。この著者の本を読むのは本屋大賞を取った「流浪の月」以来、二冊目である。前作でも感じたが、この人は文章が上手い。達意の文で、かゆいところに手が届くという感じで、しかも無駄がない。難解なところは少しもなく、高度な読解力の必要もない。誰でもストレスなく読み通すことが出来るだろう。(以下ネタバレ)。
 ストーリーには現下の社会状況における様々なトピックがほとんどすべてと言いたいくらい盛り込まれている。瀬戸内海の風光明媚だが閉鎖的な島で育った井上暁海の父は浮気相手のもとに出奔してしまっている。「不倫」であり、父の相手の女性からすれば「略奪愛」だ。彼女は島を出て東京に行くことを希望していたのだが、精神的に不安定になった母を一人に出来ず、島に残る選択をする。つまり、「ヤングケアラー」。彼女は本来憎むべきはずの父の愛人瞳子に徐々に惹かれていき、刺繡作家である瞳子の弟子になる。一方母の方は怪しげな宗教にはまり、借金を作ってしまう。今話題の「カルト宗教問題」だ。
 もう一人の主人公青埜櫂は転校生で、暁海の同級生。夫に先立たれた母親は、しばしば櫂を一人にして男のところに行ってしまい、その間彼は黴びた米やパン、腐って変色した野菜を食べて育ったという。「毒親」による「保護責任者遺棄」だ。そして彼もまた「ヤングケアラー」として母の経営するスナックを支えていた。彼には文才があり、漫画の原作を書いてもいる。投稿サイトで知り合った絵の巧い尚人とともに、雑誌に応募した作品が認められ、卒業後は上京してプロになる。漫画はヒットしてアニメ化も決まるが、そんな時尚人の未成年への淫行疑惑が持ち上がり、連載は打ち切りになってしまう。尚人はゲイで、相手の少年とは真面目な交際だったのだが、息子がゲイであることを受け入れられない少年の両親のために事件にされてしまったのだ。事件は週刊誌で報道され,SNSでも叩かれ、櫂は発表の場を失ってしまう。「LGBT差別」「○○砲」「ネットいじめ」…。
 このように書くと、この小説は「キワモノ」のように思うかも知れないが決してそうではない。これは充分に伝統的で真っ当な恋愛小説なのである。二人が出逢い、惹かれ合うのには二人の「毒親」が大きな役割を果たしているが、島と東京に分かれた二人の心が少しずつ擦れ違って行くのには、カルトも性的マイノリティ問題も関係ない。そしてお互いを思い合いながらもどうしようもなく擦れ違ってしまう過程を作者は実に丁寧に書いている。暁海だけでなく、櫂の内面描写が巧いのに驚く。ここでこの作者がBL小説の書き手だったからなどと言うつもりは勿論ない。そもそも僕は彼女のBL小説を読んだことがない。そうではなくて、この作者が登場人物に入り込んで書くタイプの作家だということだ。二人それぞれが下す決断は、作者が彼らに成り代わって考え抜いた結果なのだろう。奇想天外な結末などはなく、むしろ予定調和のようではあるが、説得力はある。花火大会の場面は美しい。
 先に真っ当な恋愛小説と書いた。しかし、やはり恋愛小説としては少しいびつかも知れない。この小説は暁海と櫂の二人だけでは成立しないからだ。特に重要なのが北原先生の存在だ。最後までファーストネームも年齢も明かされない、「地味で影の薄い」化学の教師。だが、ここぞという時には大活躍して、櫂と暁海を助ける。やがて暁海にとって取り換えのきかない存在になる。恋愛感情も性愛もない繋がりという意味では、「流浪の月」の更紗と文の関係と似ているともいえる。「流浪の月」では唯一の理解者として梨花という少女がいたが、この作品では北原先生の娘である結がその役割を担う。結の存在はシリアスな場面で一服の清涼剤の役割を果たしている。暁海が島を出て櫂のもとへ行くことを決断した時のやり取り。
「お父さんが結婚してくれてほっとしたけど、暁海さんとお父さん、全然夫婦っぽくなかったもんね。いいコンビだとは思うけど、櫂君とつきあってたときの暁海さんの方が綺麗だったよ。つきあうなら、自分を綺麗にしてくれる男がいいよ」/あっけらかんと言われ、わたしは脱力した。北原先生はやや傷ついた顔をしていて、わたしと結ちゃんは小さく笑い合った。」
 プロローグとエピローグの対比も見事で、そこでも結が重要な役割を果たしている。だが、ここで結が「今治の人」と呼んでいるのは、どんな事情があったかは分からないとはいえ自分を捨てた産みの母のことなのである。その母が十数年ぶりに現れ、しかも父が月に一度その人に会いに行っているという事実は、暁海よりも結にとっての方が心騒ぐことではないのだろうか。そのあたりの事情はすべて捨象されている。捨象しなければこの小説は成り立たないのだ。暁海はこの島で生きていく。風光明媚だが、今なお古い因習にとらわれ、噂話が唯一のリアルエンターテインメントであるような島で。夕星の美しさも、暁海の刺す刺繡の美しさもいわばその上澄みだ。美しいものを求めるのが恋愛小説ならば、これもまた今という時代を象徴する恋愛小説なのだろう。

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