10月6日
9月29日の朝日新聞論壇時評「進まぬ性教育 知識こそ性加害減らす手段」で、東大大学院教授の林香里が「日本の学習指導要領には『妊娠の経過は取り扱わない』という通称『はどめ規定』と呼ばれる特異な規定があり、学校では『性交』について教えることが避けられてきた」と指摘していた。1998年から記載があるが、導入の経緯も理由もよくわからないのだという。僕は長らく教育現場にいたのだが、そんなことになっていたとは全く知らなかった。他に考えるべきテーマが沢山あったからだろう。そう自分には言い訳しておく。
林は教育学者の尾木直樹の言葉を引用する形で「2000年代に政治主導で行われた苛烈な『性教育バッシング』と現在まで性教育実践を抑制し規制するいわゆる“はどめ規定”は、一部保守系議員らの政治思想(「純潔教育」「自己抑制教育」)が色濃く反映されており、今日に至るまで強力な政治支配下におかれた異常事態のまま」だと言っている。これを読んで2000年代の初め頃というのは、やはり異常な時代だったのだと改めて思った。
その二日前、9月27日には、フェミニズムの研究者である山口智美のインタビューが載っていた。「家族重視の思想に共鳴して集う右派 旧統一教会以外も」という記事だ。彼女は旧統一教会によるジェンダー政策への介入を、十年も前に著書に書いていたのだが、元首相の銃撃事件を機に、それがにわかに注目され始めたのだという。「『バックラッシュ』を担ってきたのは、基本的には1990年代半ばから同じ人たち」で、旧統一教会の他に「多くの宗教者がメンバーとなっている日本会議、右派論壇人、メディア、そして政治家と、異なる立場の人たちが共鳴し合い、運動が広がって」いたという。
「バックラッシュ(backlash)」とは、広辞苑(七版)には「(逆回転の意)進歩的とされる政策や社会現象に逆行する動き。反動」とあるが、社会学では専ら「男女平等や男女共同参画、ジェンダー運動などの流れに反対する運動」に用いられるらしい(これも最近知った)。ここで、「反フェミニズム運動」と「性教育バッシング」では全く別物と思うかもしれないが、世の中には親和性の高い政策というものがある。原子力発電に対する態度などもそうだ。原発に賛成か反対かは、本来政治的イデオロギーとは関係ないはずだが、今の日本では(小泉元首相のような例外もあるが)原発に反対すると左翼になる。
先にあげた記事の中で、山口は当時の右派が力を入れていたのは「日本軍『慰安婦』が記載された教科書に反発する『新しい歴史教科書をつくる会』の運動」で、次にターゲットになったのが「男女共同参画」だったと語っている。「各地の条例化の動きに激しく抵抗する運動が行われ、そこに旧統一教会も加わっていた」。同じ頃、『過激な性教育』に対するバッシングも行われ、ここにも旧統一教会が関わっていたことが知られている。
2003年には七生養護学校事件が起こるが、当時の僕は同じ都立学校に勤務していながらさほど深刻に捉えてはいなかった。もちろん他に考えるべきテーマが沢山あったからだろう。そう自分には言い訳しておく。この「事件」は当時七生養護学校で行われていた性教育が、一部の都議によって議会で問題とされたことに端を発する。七生養護の「性教育」は、知的障害をもつ生徒が他校生徒と性交渉を持った事件をきっかけに、教員と保護者が協力して進めてきたものだが、それがターゲットになった。事態を重く見た東京都教育委員会によって校長は懲戒処分を受け、教員は厳重注意、手作りの教材は「没収」された。国政レベルでも、自民党が「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」を作る動きになり、事務局長の山谷えり子が、没収した教材の人形を「セックス人形と言われている」等と説明している映像はTVでも流れた。メンバーには後に文部科学大臣になる萩生田光一もおり、座長は当時自民党幹事長代理だった安倍晋三だった。
その後の訴訟の結果、元校長への懲戒処分は取り消された。また元教員と保護者も訴訟を起こし、発端となった都議三人と都教委は賠償を命じられた。だが、実際の現場では「今日に至るまで強力な政治支配下におかれた異常事態のまま」なのだ。この頃からこれ以外の件でも、都教委が現場に直接介入してくることが増えたように思う。そして2006年の4月に職員会議での挙手採決を禁止する通知が出され、現在に至っている。全てはつながっているのである。
「部屋に入って少したって/レモンがあるのに/気づく 痛みがあって/やがて傷を見つける それは/おそろしいことだ 時間は/どの部分もおくれている(北村太郎「小詩集」)」
この詩を初めて読んだ時には、なにが「おそろしい」のかよくわからなかった。
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