2月8日
TVニュースの事件報道で、逮捕された被疑者が容疑を認めている場合に、「私が○○をしたことに間違いありません」という被疑者の供述が発表されることがよくある。ご丁寧にそこだけ声を変えて、被疑者が男性なら男性の声、女性なら女性の声で読まれることが多い。
こういう演出はかつてドナルド・トランプが何か発言したという時に、必ずその部分を野卑な感じの濁声のナレーションにされていたのと同じだ。だが、僕が気になったのは、この「私が……したことに間違いありません」という奇妙な言い回しの方である。被疑者が実際にこんな風に話すことはまずないだろうと思うからだ。
これは僕の推測だが(多分間違っていないと思う)、実際のところは取調官の「お前がやったんだな」という問いかけに、被疑者が「はい」等と言ったのが、調書では例の「私が……したことに間違いありません」という定型文になり、それがメディアに流され、そのまま記事の原稿になったのだろうと思う。だが、これだとかなりニュアンスが違ってくるのではないか。
そんなことを考えていたら、8日の朝日新聞に「調書に違和感、署名とめた弁護士 取り調べ、立ち会い求める動き」という記事が出た。
「2018年11月、男性は「模造拳銃」を持っていた銃刀法違反の疑いで自宅の家宅捜索を受けた。(中略)捜索で現物は見つからず、署で取り調べに応じるよう求められた/男性が知り合いの片山弁護士に電話で相談すると、署に付き添ってくれることになった。(中略)/罪の成否のカギは、モデルガンが「金属製」だったかだ。本物の拳銃に見た目がよく似ていて、材質が金属だと銃刀法違反と判断されうる/「銃に重みは」「ずっしりしてる感じでしたか」。警察官の質問に、男性は「してるんじゃないですか」と答えた。「エアガンは趣味で持ってるの」と聞かれ、「そうですね」と応じた/休憩をはさみ、警察官がパソコンで作った調書は「私は……」という一人称で、「他のエアガンに比べてずっしりと重かった」と記されていた。(中略)片山弁護士は男性と相談し、警察官に伝えた。「訂正すべき箇所が多すぎる。署名しません」/署名すれば調書は法的な効力を持ち、意に反する内容でも裁判の証拠になりうる。男性は署名せず、片山弁護士と警察署を出た。取り調べが始まって3時間が過ぎていた/男性はその後、不起訴となった。(後略)」
ここでのポイントは、取調官の問いかけに曖昧に答えていたことが、調書では「私は……」という一人称にされてしまうというところだ。そしてもしかするとそれがそのままTVで、別人の声で芝居気たっぷりに流されるかもしれないのだ。
冤罪の温床は、いまだに弁護士の取り調べへの立ち合いに消極的だったり、世界に類を見ないと言われる代用監獄制度を維持し続けている現状にあるが、僕たちがニュースなどの言葉に敏感であることも大切なことだと改めて思った。多くの人は自分に降りかかることはないと考えているのだろうが、現実には、普通に暮らしていても、いつ自分が捜査対象になるか分からないのだ。
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