「52ヘルツのクジラたち」は、完全なるキャラクター小説

詩、ことば、文学

9月12日

 評判のいい小説なので読んでみた。評判通り面白かったし、感動もした。そして思った、これは完全なるキャラクター小説(僕の造語。登場人物がすべてキャラクター設定され、その枠内だけで行動する小説)だと。
 授業で漱石の「こころ」をやると、「私、Kのファンになりました」と言ってくる子がいる。「山月記」なら袁傪だ。主人公が複雑に屈折した性格なので、真直ぐな性格に惹かれるのかもしれない。生徒たちは感情移入できるキャラクターを常に探していて、それがいない作品は「つまらない」となる。
 ヒットしているアニメやゲームには、個性豊かなキャラクターが大勢登場する。途中でキャラが変更されることはあまりない。例えば「友情に厚く、仲間を助けるためには危険もいとわない」というキャラクターなら、いついかなる場合でも、その設定を裏切らない行動をとる。読者(やゲームのプレーヤー)は、その中から応援したいキャラを見つけて「推し」にするというわけだ。
 さて、「52ヘルツのクジラたち」に戻ろう(ここからネタバレ)。主人公の貴瑚をいじめる実母と義父、「ムシ」と呼ばれる少年(本名は愛=いとし)を虐待する母親の三人は、ほとんど同情の余地すらない、いわば絶対悪として描かれている。実母に溺愛されて育った貴瑚の弟の酷薄さも、さもありなんという感じだ。一方、貴瑚を助ける親友の美晴は、常に正しく、勇気があり、絶対に貴瑚を見捨てない。両親にネグレクトされて育った貴瑚が、高校時代にこんな友人を得られたのは奇跡としか言いようがないだろう。貴瑚はアンのことを恩人と思っているが、本当の恩人は美晴だ。アンを貴瑚に引き合わせたのも彼女なのだ。はっきりと書かれてはいないが、貴瑚はかなり美しい女性らしい。容姿の面でアドヴァンテージを持っているのだ。アンは彼女を助けた理由として、冗談めかしてながら「キナコ(=貴瑚)が可愛いから、邪な気持ちで動いてるんだよ」と言う。貴瑚が大分で最初に知り合った村中も、貴瑚に対する好意を隠さない。その村中も、部下のケンタも、やんちゃもするが真直ぐで、善良なキャラクター。そして極めつけは村中の祖母サチゑ。もと老人会の会長であった彼女は、八十を過ぎてなお矍鑠(かくしゃく)とし、常に真実を見極め、正しく行動し、ぶれることがない。それに対して「諸悪の根源」として現れるのが、現老人会の会長で、元中学校長、愛の祖父である品城だ。彼はサチゑから「孫を見殺しにしていた、ろくでなし」「自分の器からはみ出るもんは切り捨てるような小さい男」と喝破されてしまう。結局彼は溺愛した娘に去られ、認知症が進み、老醜をさらす結果になる。会長に復帰したサチゑとは好対照だ(現実には、いかに善良で高潔な人であっても認知症で人格が変わってしまうことはあるのだが)。そして、品城の別れた妻と、その再婚相手はこれまた絵に描いたように善良なのだ。
 わかりやすいキャラクターばかりの中で、二面性を持つキャラクターが、アンと主税。実は、アンはトランスジェンダーであり、そのことを母にも貴瑚たちにも打ち明けられずに悩んでいた。それが彼の陰りの部分だったのだ。主税の方はといえば、世知にたけていない貴瑚が、手もなく騙されて「いい人」だと思っていただけで、本質は典型的なDV男だった。
 最後、僕の推しキャラは、断然美音子(みねこ)だ。貴瑚に「52ヘルツのクジラ」を教えてくれたルームメイト。正体不明で、陰とも陽とも判断がつかないが、そこがまた魅力的である。彼女の物語が読んでみたいと思った次第。

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