すぎやまこういちの功績

10月8日

 すぎやまこういちが亡くなった。九十歳という年齢を考えれば仕方ないとも思うが、やはりショックである。9月26日の投稿で、「近年ではドラクエの音楽と右翼的な発言ばかりで有名になっている」と書いたが、予想通り、ネットニュースのコメント欄はドラクエのことばかりであった。そこで、ここではドラクエ以外のすぎやまについて書きたい。
 前回も書いたが、僕はすぎやまという人は編曲家の地位向上のために尽力した人だと思っている。70年代、「サウンド・イン・ナウ」というラジオ番組を通じて編曲の大切さや、音楽の楽しみ方を発信し続けていた。「日暮し」のヒット曲「い・に・し・え」を、自らのブラスロック風アレンジと竜崎孝路による演歌風アレンジで比較した回は、よく覚えている。当時はほとんど知られていなかった「カラオケ」という言葉を広めたのも彼だし、この番組の中にはそのカラオケを使った音楽クイズのコーナーもあった。奇しくもすぎやまの死が伝えられた同じ日に、フジテレビで「ドレミファドン」の特番が放送されていたが、この番組のスタートにもすぎやまは深くかかわっている。
 筒美京平の音楽を評して、曲とアレンジが不可分に結びついているというような趣旨のことを前に書いたが、まさに同じことがすぎやまにも言える。筒美がすぎやまの弟子であると書いた文章も散見されるが、実際には師弟関係というまでのものはなかったようだ。だが、すぎやまが筒美を認め、推していたことは間違いないだろう。そして同じようなことは、すぎやまと村井邦彦の関係にも言えるのではないかと思う。
 ザ・タイガースの「ヒューマン・ルネッサンス」というアルバムは、日本で最初のコンセプトアルバムと言えるのではないかと勝手に思っている。企画を考えたのは村井と作詞家の山上路夫なのだそうだ。作曲は村井とすぎやまが五曲ずつとメンバーの曲が二曲、特に冒頭の「光ある世界」はすぎやまの曲で、交響楽団を使ってホール録音された曲。また、「雨のレクイエム」ではエンデイングに弦楽四重奏が入るなど、すぎやまワールド全開のアルバムになっている。ドラクエですぎやまファンになった人に、ぜひ聴いてもらいたいアルバムだ。
 すぎやまは、元はフジテレビのディレクターで、「ザ・ヒットパレード」を企画し、作曲家に転身してザ・ピーナッツの「恋のフーガ」など手掛けた。GS時代にはザ・タイガースで「花の首飾り」などヒットを連発して一時代を作り、ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」なども作った。そしてガロの「学生街の喫茶店」を大ヒットさせた(この編曲は大野克夫とクレジットされているが、ストリングスの使い方や間奏にコールアングレを使うなど、すぎやまの臭いがプンプンする)。
 個人的に好きな曲を挙げると、ザ・カーナビーツの「泣かずにいてね」「マイ・ベイビー」、第一回東京音楽祭でグランプリになった雪村いずみ「私は泣かない」、トワ・エ・モワの「タンポポ舞う頃」、ペドロ&カプリシャスの「手紙」などなど。
 政治的な発言を聞いたことはなかったので、右派の論客として知られるようになったことには正直驚いた。盟友だった青島幸男とたもとを分かってから、保守的な発言が目立ち始めたようにも思うが…。いずれにせよ、政治的信条と芸術家としての功績は別である。一時代を築いた人がまた亡くなってしまった。

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