ドラマ「17才の帝国」

音楽、絵画、ドラマ

5月24日

 大学教員にしてTVドラマ愛好家である畏友Hが、「太鼓判」というのでさっそく見たのだが、期待にたがわず面白かった。「サンセット・ジャパン」と呼ばれ、G7からも除外された近未来の日本で、17歳の高校生(神尾楓珠)が政治AIソロンを駆使して実験都市UA(ウーア)の統治に奮闘する話。設定からして突っ込みどころ満載なのだが、それをさせない疾走感がある。導入部を同じ高校生のヒロイン(山田杏奈)の視点で描くことで、様々な矛盾を顕在化させないのも巧いが、平(星野源)の人となりを、手作りのスムージーを飲む、革靴を徹底的に磨くというたった二つだけで見事に提示して見せる巧みさ。H君の指摘通り、「ジュブナイル仕立て」であり、人物設定は小気味いいほどに類型的だが、何より映像が美しい。つねに画面から「海風」が感じられる。音楽というか、「音」もいい。

 印象的な3本の電波塔。よく出来たCGだと思っていたら長崎県に実在する有名な塔なのだそうだ。恥ずかしながら僕は知らなかった。「空の大怪獣ラドン(1956)」にも出ているというから、慌ててDVDで確認した。

 全5回のうち、もう3話まで終わってしまった。17才の真木総理と、日本国の鷲田総理との隠された因縁などがこれから明らかになってきそうなのだが、変なオチでなければいいと思う。小説でも、読んでいるときはページをめくるのももどかしいほど面白いのに、読後はモヤモヤしてしまうものがある。こういうお伽噺には是非、爽やかで希望のあるラストがほしい。
 もっとも、ここで描かれる「スマートシティ」は、決してお伽噺ではない。前にも書いたが、様々な近未来予測が外れる中で、情報通信分野の発達だけは予想を上回る勢いだ。このドラマで使われているウェアラブル端末だけならまだしも、体にICチップを埋め込むなんて話も聞く。そして、便利なツールは同時に管理の手段でもあるのだ。機械に支配される未来社会なんて、まるで「第四惑星の悪夢」みたいだが。
 UAの閣議において政策決定の決め手となる「幸福度」という言葉にも考えさせられる。昔、ブータンの幸福度が高いことが話題になったことがあった。当時は他国との比較ができないからだろうとか、そもそもの要求水準が低いのだろうなどと憶測を呼んだものだ。
 ドラマでは、真木総理が「誰かの幸せを取ると、誰かが不幸になる」と言って悩む。「今さら?」とも思うが、彼は17才なのである。それを肌で感じたのが初めてでも無理はない。また、平が「現在の自分に満足か」というソロンの幸福度アンケートに答える際に見せた一瞬の逡巡も、なんとなく示唆的に思える。
 さてここで例によって大脱線する。古文書では「しあわせ」は、例外なく「仕合」と表記されている。大抵その上に「難有(ありがたき)」が付く。本来「しあわせ」という言葉は「巡り合わせ」という意味だ。当然、ありがたくない「しあわせ」もある。「しあわせ」に「幸」の字を当てるようになるのはごくごく最近、早くても大正期のことらしい。何が言いたいかというと、幸福とはもともと相対的なものだということ。誰かの幸せが別の誰かの不幸でもあるというのは、まだ序の口。バタフライ効果(桶屋理論)じゃないが、どうすれば幸福度が上がるかなんて、量子コンピュータでも解明できないだろう。つまり幸福度を尺度に政策決定するのは危険が伴うということだ。
 そもそも、政治の役割とは人間を幸福にすることではない。他人を幸福にするのは広義の芸術家(芸能人やスポーツ選手、おいしい料理を作る人なども含まれるだろう)の仕事だ。「国民の皆様を幸せにします」なんて言う政治家には思い上がるなと言いたい。政治に出来るのは不幸な人を減らすことだけ。勿論不幸もまた相対的な概念だから、より正確には「不幸の因子を減少させること」なのだ。北欧諸国の幸福度が高い要因として、社会保障の充実がまず挙げられるのは、つまりそういうことだろう。
 話は変わるが、ドラマで神尾楓珠が着ている詰襟の制服は、僕が以前勤務していた学校のものとよく似ている。当時は正直、「ダサい」と思っていたのだが、着る人が着るとサマになる。それにしても近未来の実験都市の高校にも、やっぱり制服はあるのかねえ(前世紀に僕が通った高校にはなかったのだが)。

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