仏教国・日本

歴史、古文書

10月3日
 今年の秋のお彼岸は、まず義母の墓参。妻の家の墓は本牧の三渓園の近くにある。「お掃除代」という名の管理費、去年の分と合わせ一万二千円を支払った。前回来た時は古い卒塔婆がかなりボロボロになって残っていたが、それもきれいに取り払われていた。
 日を改めて今度は僕の両親と兄の墓参。県境を越え、さらに千葉との県境に近い江戸川のほとりに墓はある。彼岸会のお布施と塔婆代計八千円を払い、新しい卒塔婆を貰う。こちらの墓には卒塔婆が沢山立ててあり、古いものから順次処分しているようだ。この日は快晴だったので、少し足を伸ばして柴又を散策してから帰った。
 妻の家の墓は管理料六千円で、一年くらい払わなくても督促されることもない。鷹揚なものだ。妻に言わせれば、寺が幼稚園経営などの副業で潤っているからだというが、真偽は定かでない。僕の方の寺は、年二回の彼岸会と盂蘭盆会の度にお布施と塔婆料、それとは別に墓の護持管理料一万円で、年額三万四千円請求される(最近知ったのだが)。この差は何だろうと思ってしまう。
 話は変わるが、昔京都に行った時タクシーの運転手から、「お客さん、宗派は何宗ですか?」と聞かれて面食らったことがある。僕は日蓮と答えたが、妻はわからないという。「確か真言宗だよ」と教えてあげたのだが、運転手は怪訝そうにしていた。自分が何宗かも知らないことに対してなのか、夫婦らしいのに宗派が違うことに対してなのか…。多分両方だったのだろう。
 現在も大多数の日本人は、いずれかの宗派に属する仏教徒である。日本は仏教国なのだ。その理由をチコちゃん風に言えば、「徳川政権がキリスト教を禁じたから」となる。切支丹など、禁教の信徒でないことを各人の檀那寺に証明させる「寺請け制度」を採ったからである。村には「宗旨改帳(宗門人別帳)」が課された。今でいえば戸籍上に何宗の何寺の信徒であるかを記載することが義務付けられたのだ。そして寺院が発給する寺請け証文がないと、奉公も出来ず関所も通れない。つまり仏教徒であることが証明できないと、就職も結婚も旅行もできないというわけだ。こうして17世紀の半ばまでには、この国に住むすべての人間がいずれかの宗派の信徒になったのである。その後、明治初年の「廃仏毀釈」があり、さらには「信教の自由」が謳われるようになったが、それでも基本的な構図は変わっていないのではないだろうか。これまでに仏式以外の葬儀に参列したことは、記憶の限りでは三回しかない(二回はキリスト教、一回は天理教)。
 ここまでの書きぶりで想像がつくと思うが、僕は全くの無宗教である。古寺をめぐり、庭園や仏像を鑑賞するのは大好きだが、信仰はない。時に墓に参って故人を偲ぶことはあっていいと思うが、自分自身は入るつもりはない。何より子どもがいないので、僕が死ねば、墓を引き継ぐ者もいなくなる(その点は妻も同じだ)。この先、寺との関係をどうしていくかは、僕にとって大きなテーマになりそうだ。(写真は墓参りのついでに訪れた柴又の題経寺。日蓮宗である)

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