8月1日
中村文則の小説を読んでいて、「性器」という言葉が繰り返し出てくるので、そのたびに何か異物を吞むような感覚を覚える。まるで、体の一部ではなく制御できない何物かのような感じだ。もちろんそういう効果を狙っているのかもしれないが。ふと思い立って、他の作家たちがその部分をどう呼んでいるのか書棚を漁ってみた。たとえば大江健三郎は初期の作品でセクスと書いたほかは、やはり性器、ペニス等。村上春樹も性器、ペニス、ヴァギナ(ワギナ)とも書いている。池澤夏樹が陽根と書いているのを見つけたのが珍しいくらい。女流では山田詠美がプッシィ、とかディックのような米俗語を使い、金原ひとみ「蛇にピアス」では、チンコ、マンコと書いている(これはすごい)。短い時間だったせいもあるが、あまり見つけられなかった。やはりそのものずばりは書きにくいのだろう。性交場面を描いていても、ほとんどそれらの言葉を使わない作家も多いようだ。その点、谷川俊太郎の「なんでもおまんこ」はやはりすごい。こういうものを書けることもだが、それを発表できること、それが認められること。詩人だから仕方がないという感覚。
日本語であの部分を表現するには、およそ体の一部らしくない(角膜とか三半規管とかとも似た)性器というような言葉か、さもなければラテン語か、または俗語か幼児語だということ。実は由緒正しい日本語もあるのだがほとんど使われず、死語になっている。
三十年ほど前、六本木の職場に通っていた頃、駅近くの真新しいショッピングビルに掲げられたブランド名を見て同僚と笑い合ったのを思い出す。英字ではあるが、「極大男性器」と読める名前だったから。今も普通に有名な海外ブランドである。
さて、ここで自作の詩を一つ。
ほと
女はほと
ほとのほとり
ほとのほとりがほとり
ほとほとび
男は叩く ほとを叩く
目で指で唇で
ほとのほとびを
ほとほとと
註 「ほとる」は「火照る」の古形。「ほとぶ」は湿って柔らかくなること。「ほとほと」は戸を叩くなどの際に使われる擬音語。
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