BSNHK「犬神家の一族」後編

音楽、絵画、ドラマ

5月1日

 「犬神家の一族・後編」を見た。感想はというと…。正直言って期待していた分、失望の方が大きかった。
 脚本家は自分なりの解釈を施すことで、いわば「爪跡を残」したいと思うのだろう。あるいは、単に原作をなぞるだけなら誰でもできると思うのかもしれない。だが、現実には原作の魅力が余すところなく伝わるように脚本化するためには(それが探偵小説ならなおさら)余程の読み巧者でなければならないはずだ。
 後編は、小説の「柘榴(ざくろ)」の章から始まる(ここからネタバレ)。ここには、僕が以前「ミステリーというパラレルワールド(22年6月15日投稿)」で紹介した、「禁断の犯人消失トリック」のヴァリエーションが使われている。「禁断の犯人消失トリック」とは、犯人を追跡して追い詰めたはずが、反対方向から追跡してきた追手と鉢合わせしてしまい、犯人は煙のごとく消えてしまった、というもの。この場合もちろん反対側から来た追手が犯人なのだ。
 襟巻で顔を隠した兵隊服の男が珠世の寝室を物色して逃げ去る。悲鳴が聞こえたので一同が行ってみると、マスクを剥ぎ取られた佐清(本当は静馬)が倒れていた。この時の顔がぐちゃぐちゃに崩れた柘榴のようだったというのが章名の由来だ。兵隊服の男は実は外からやって来た静馬であり、マスクをかぶって本人を演じていた本物の佐清とここで入れ替わったのだ。醜い顔を敢えて見せたのは、マスクの佐清が間違いなく顔を損傷していることを印象付けるためであった。また、静馬が珠世の部屋を物色したのは、自分の指紋のついた懐中時計を回収するためだった。本物の佐清と入れ替わって屋敷の外にいたため、彼女が既に懐中時計を持っていないことを知らなかったのだ。このことは真相解明のために重要なのだが、ドラマでは触れられていなかった。
 続く佐智殺しもおおむね原作通りだが、探偵小説的な面白さを十分に伝えきれていない。原作では金田一が重要事項を箇条書きにするくだりがあるが、そういう工夫も必要だ。殺害現場を誤認させてアリバイを作るトリック自体は、今では使い古されたものだが、ここでは佐智が自分で屋敷に舞い戻って来るという点や、犯人自身は何のトリックも弄せず、別人が後から工作するという点が面白いのだ。なお、ドラマでは松子がこの時指を負傷し、それを琴の師匠に看破されるエピソードも割愛してしまっており、折角琴の師匠を登場させているのも無駄になってしまっている。
 「斧(よき)・琴・菊」の呪いに絡んで、三姉妹の菊乃への仕打ちを語るのは、原作では松子だが、ドラマでは竹子になっている。それはいいが、佐智の遺体が発見された廃屋がかつての琴乃の家だということにしたのはちょっとやり過ぎと思える。
 珠世が、佐兵衛翁の実の孫だという事実は映画同様、金田一と古舘弁護士のみに明かされ、全員には知らされない。つまり「静馬のジレンマ(21年11月16日の投稿を参照)」は省略されている。映画ではあくまで静馬を悪人の脅迫者として描きたかったからだろうと書いた。このドラマでは松子が静馬の正体に気付くのは、自分がかつて付けた火傷の痕に気付いたから(原作では火箸を当てたのは梅子である)ということになっているため、静馬の哀れさがいっそう際立つ。
 原作では偽の佐清の正体が青沼静馬であることが明かされるのは物語の最後である。そこで金田一は遠慮がちに「僕にいくらか小説的想像を許していただけるならば、あれは……あれは……静馬君ではなかったかと思います」と言っているのだ。一方このドラマの金田一は「遺言状に名前がある中でただ一人姿を現していない」という、山勘としか思えない理由で最初から静馬を疑い、兵隊服の男が静馬であるとミスリードした挙句、静馬が若林殺害の犯人たりえないことに気づいて、ようやく松子が犯人と気づくというポンコツ迷探偵ぶりである。また、珠世暗殺未遂の犯人が小夜子にされてしまっているのも解せない。金田一は松子に「あなたならあんな稚拙な殺し方はしない」などと言っていたが、佐武・佐智殺しも充分稚拙だ。そして、湖面に倒立した死体の絵解き、すなわち「佐清=スケキヨ」が倒立して「ヨキケス」、その半分だから「ヨキ=斧」という意味は映画同様今回も語られない。
 何より違和感があるのは、本物の佐清の登場が早すぎることだ。そして、その佐清が静馬として自殺しようとした際、警察への手紙を郵送にせず、子どもに託したことから、金田一は佐清が最初から死ぬ気はなかったのではないかと疑って佐清を問い詰める。何とも後味の悪い終わり方である。原作では、佐清が姿を現すのは既に静馬が松子の手にかかって殺された後であり、この部分は脚本家による完全な創作である。しかし、原作をどう読んでもこんな結末にはなり得ない。
 ここに指摘したように、原作の探偵小説としての魅力を余すところなく描くのには、180分では短いのだろうか。そんなことはない筈だ。この余計と思えるラストや、最初と最後の倍賞美津子の登場シーンなどを省けば充分に尺はある。一方で、映画版では坂口良子や深田恭子が演じていた旅館の従業員役に久間田琳加をキャスティングしながら、最初しか使わなかったのももったいないような気もする。
 最後に一つ。見終わって音楽が全く頭に残らなかった。その点、映画版の音楽を手掛けた大野雄二はやはり偉大だということか(大野雄二の名前を知らなくても、彼が手掛けたこの映画のテーマ「愛のバラード」や、「ルパン三世」のテーマ、NHK「小さな旅」のテーマなどを知らない人は少ないだろう)。

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