葬式饅頭の歌

詩、ことば、文学

6月21日

 「葬式饅頭の歌」というものがある。歌といってもメロディーはなく(少なくとも僕は知らない)、地口というか、囃し言葉のようなものだ。
「そうだ村の村長さんが、ソーダ呑んで死んだそうだ、葬式饅頭でっかいそうだ、中にあんこがないそうだ」というのが、僕の知っている歌詞である。
 これが地方によりさまざまなバリエーションがあることは知っていた。
 何気なく検索していたら、いくつかのサイトでこの文句の元ネタが阪田寛夫(1925~2005)の詩だと断定的に書いてあったのでびっくりした。阪田寛夫といえば、「サッちゃん」などで知られる詩人・童話作家だが、時代的に整合しないように思う。

 民間に流通していて、しかも様々なパターンがある替え歌として、僕が真っ先に思い出したのは「レインボーマン」(1972年のドラマ)の主題歌である。元歌の作詞は川内康範。
「インドの山奥で 修業して ダイバダッタの魂宿し 空に架けたる虹の夢…」という詞なのだが、僕が知っている替え歌は「インドの山奥出っ歯のおじさん骸骨見つけた…」などと続く。つまり、歌い出しの「インドの山奥で」の最後の「で」が「出っ歯」につながり、しりとり風につながってゆく。「でんでんむし…」などとつながるバージョンもある。いずれにせよ、元歌と同じなのは最初の「インドの山奥で」のみで、後は全く変わってしまっている。
 それとは少し違うが「ブルー・シャトー(1967年)」の替え歌も流行った。こちらは、「森と泉に囲まれて 静かに眠るブルー・ブルー・ブルー・シャトー」という歌詞を、「森とんかつ 泉にんにく かーこんにゃく まれてんぷら 静かにんじん ねむーるんぺん」などと歌うものである。
 それらに比べると、葬式饅頭の歌の方は、各地でばらつきが多いが、単なる言葉遊びではなく(一応)ストーリーがある。これの原詩とされているものは一体どういうものなのだろう。
 調べてみると「そうだ村の村長さん」という詩で、その冒頭部分は、
「そうだむらの そんちょうさんが/ソーダのんで しんだそうだと/みんながいうのは ウッソーだって/そんちょうさんが のんだソーダは/クリームソーダの ソーダだそうだ」となっている。いつ書かれた詩なのかははっきりしないが、ずいぶん軽いしモダンな感じだ。なにより歌詞の中に肝心の「葬式饅頭」がない。僕が冒頭に書いた葬式饅頭の歌を教えてもらったのは小学校低学年の頃であることを考えると、各地に伝わって、既に知られていた「葬式饅頭の歌」を、阪田寛夫がパロディにしたと考える方がどう考えても自然だろう。
 阪田オリジナル説を唱えているサイトの中には、『言語生活』という雑誌が昭和39年に調査した結果、「ソーダ村の村長さんは ソーダ飲んで死んだそうだ 葬式饅頭でっかいそうだ」という歌詞はほぼ全国で知られていたということが紹介されているものもあった。だが、昭和39(1964)年には、まだ阪田寛夫は詩人としてのキャリアをスタートしていない。筆者は矛盾に気が付かなかったのだろうか。
 さらに調べてみると、この「そうだ村の村長さん」という詩ははまどみちおとの共著「まどさんとさかたさんのことばあそび」が初出らしく、早く見積もっても80年代後半ごろの詩らしい。一方の「葬式饅頭の歌」の方は、こちらもはっきりはしないが戦前からあったという証言もあるようだ。つまり、ネット上で定説になっている「葬式饅頭の歌の元ネタは阪田寛夫説」は完全にガセであると言えるのだ。
 以前に、「ゴジラは観音崎に初上陸していない」という投稿をした際にも書いたが、こんなことにいちいち目くじらを立てるのは大人気ないかもしれない。でも気になってしまうのが僕の悪いくせ。

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