12月17日(IT弱者の話 続き)
いつの間にかIT弱者になってしまった僕だが、かつては時代の先端を走り続けていた(つもり)。僕が小学生の頃、七歳年上の兄はオープンリールのテープデッキを所有していて、FMをステレオでエアチェック(ラジオ放送等を録音すること)していた。これは当時最先端だったと思う。僕が中学に上がる頃にはそれがカセットデッキになった。
大学時代、仲間と同人誌の真似事のようなことをしていたが、その際、まだ国内に数少なかった東芝の日本語ワードプロセッサ(ワープロ)を使っている。デスクトップというより、デスクそのものというほど大きく、媒体はLPレコードほどもあるフロッピィディスクを使っていた。今ではフロッピィを見たことがない人も多いらしいが。
1984年に就職して、最初にした大きな買い物はヤマハのCDX-1。初めて10万円を切ったCDプレーヤーである。CDを再生する以外の機能は何もなく、もちろんアンプやスピーカーも付いていないので、それだけでは音が出ない。僕はマランツ製のミニコンポにつないで使っていた。このCDX-1がまたよく故障するのである。電話するとヤマハのサービスエンジニアが、一人暮らしのアパートに直接やって来て修理してくれた。保証期間に三回ほども呼んだだろうか。
冬のボーナスで富士通のオアシスライトというラップトップ型ワープロを買った。ディスプレイは8文字分の表示窓があるだけ、文字を確定するとカタカタとそこまで印字する。イメージはテプラに近い。「日本語タイプライター」という触れ込みだったが、確か二十万円くらいした。オアシスの最大の特徴は「親指シフトキーボード」という富士通独自の入力方式である。最初にこれで覚えたために、僕は以来ずっとオアシスを使い続けることになった。職場にもワープロが入ったが、ルポか文豪だったので、自前で自宅用と職場用の二台を常に持っていた。延べ5,6台は買ったのではないかと思う。そうするうち少しずつ職場にもパソコンが入りだしたが、一太郎やワードを使う気にはなれなかった。「親指シフト」ならブラインドで打てたので、いまさらローマ字入力を覚える気がしなかったのである。いまだにローマ字入力には慣れない。「親指シフト」は日本語の入力方式としては最高だったと思っている(実際いまだに根強いファンがいる)。
CDプレーヤーの方は、故障続きのX-1を諦め、次にソニーのD50を買った。手のひらに載る大きさの、当時画期的な商品だった。これ以降はずっとソニーで、MDが出るとこれもいち早く買った。CDと光ケーブルでつないで倍速ダビングが出来るので、TSUTAYAで借りてはせっせとダビングし、それを通勤中にMDウォークマンで聴いていた。これが当時の最先端だったのだ。ホームシアターでLDやDVDを視聴していた経緯は以前も書いた。
一方で携帯電話はかなり後まで持たなかった。ポケットベルには、企業戦士たちがいつでも連絡がつくように会社から持たされるものというイメージがあったが、初期のケータイにもそれはあった。ケータイを持たないのが自由で、むしろカッコいいという空気は、当時確かに一部にあったのだ。
2010年代に入ってしばらくしたころ、欲しいCDを探しに秋葉原に行った。以前はCDもDVDももっぱら秋葉の石丸電気で買っていたので、秋葉に行けばなんとかなると思っていた。ところが久しぶりの秋葉原は全く違う世界で、CDショップなどもはやどこにもなかった。そもそも秋葉原に限らずCDショップはほとんどなくなっていたのだ。その次には自室で使っていたMD付きのコンパクトオーディオが壊れたので、近くの家電店に行ったが、MDを搭載した新製品はもう一つもなかった。音楽は配信で聴く時代になっていた。
僕がいつの間にかIT弱者になってしまったのは、「親指シフト」にこだわってパソコンを避けていたこと、CDとMDの組み合わせが最高と長く思い込んでいたこと、携帯をただの通信ツールとしか思っていなかったこと。結局はそれらすべてが複合した結果だったのだろう。それにしてもITとは神経をすり減らすものだと思う今日この頃である。
コメント