作「編曲」家、筒美京平

9月26日

 僕が筒美京平の名を初めて知ったのは、兄がジャガースの「マドモワゼル・ブルース」のシングル盤を買って来た時だと記憶しているが、そのジャケットに彼の名がどう記載されていたかまではさすがに覚えていない。ただ、筒美の名前の後には「作編曲」と書いてあることが多かったため、ただの「作曲」とどう違うのかと当時不思議に思った記憶がある。
 この頃は編曲者の地位は総じてとても低く、クレジットされないことも珍しくなかったという。そんな編曲家の地位向上に努めた一人がすぎやまこういちである(近年ではドラクエの音楽と右翼的な発言ばかりで有名になっているが)。彼は、FM東京で土曜の午後に放送されていた「サウンド・イン・ナウ」のパーソナリティーを長く務めていたが、この番組は音楽の楽しさを知らせる一種の啓蒙番組だった。この中に「カラオケコーナー」があり、レコードを作る過程で出来たオリジナルの「カラオケ」を、毎週一曲ずつ放送していた。今では誰もが知る「カラオケ」だが、当時は業界の一部で使われていた言葉に過ぎず、一般にはあまり知られていなかった。
 すぎやまは毎回「さあ、歌ってみよう」と言っていたが、オリジナルのキーで、ガイドメロディも入っていないので、実際に歌うのはなかなか難しかった。それより、レコードでは歌唱の陰に隠れて聴き取りにくい楽器の音が、細部まで聴こえるのが僕には楽しかった。そうして聴き込んでいくうち「筒美」と「非筒美」の音楽は全く別物だと思うようになった。非筒美の曲のカラオケは音もスカスカ、二番も三番も同じ繰返しで、聴いていて楽しいものではなかった。一方筒美の方は、様々な音で埋め尽くされており、しかもどんどん変化していく。カラオケだけでも十分鑑賞に耐えるし、聴いていると、鳴っていないはずの主旋律が聞こえてくる気さえするのである。特に違っているのはベースラインで、非筒美では基底音をただボーン、ボーンと単調に弾いているだけなのだが、筒美の場合は、まるで踊るようにアップダウンしている。そしてそれはその他のリズム隊も同じなのだった。
 確か南沙織の「傷つく世代」の回だったと記憶しているが、すぎやまが「スタジオ入りしたミュージシャンたちが、『今日は誰』『京平さん』『そりゃ大変だ』ってんで譜面をさらう」と語っていた。どういうことかというと、歌謡曲の伴奏など初見でこなすぐらい凄腕のミュージシャンでも、筒美の曲と聞くと慌てて練習をするくらい、筒美の曲を演奏するのは難しいということなのだ。
 70年代を通じて、筒美はアルバムの収録曲を含め、ほとんどの曲を作「編曲」していた。80年代に入って編曲をしなくなるのは、体力的な問題や、後進の編曲家が育ってきたこともあるだろうが、テクノブームやバンドブームの影響で録音の体制が変化し、筒美が得意としたビッグバンド+弦+女声コーラスという大編成での録音が難しくなったせいもあるのではないかと思う(筒美の絃とコーラスへのこだわりは、「木綿のハンカチーフ」をシングルカットする際に、萩田光雄のアルバムアレンジに、自らペンを執って、弦とコーラスのパートを付け加えたことにも表れている)。

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