ドキュメンタリードラマ「あの胸が岬のように遠かった」

音楽、絵画、ドラマ

7月14日

 以前録画したまま見ていなかったドキュメンタリードラマ「あの胸が岬のように遠かった~河野裕子と生きた青春~」を見た。歌人の永田和宏が、妻で同じく歌人の河野裕子の没後、10年間も封印していた彼女の若い頃の日記と、残された書簡をもとに綴った同名の回顧録が原作で、ドキュメンタリーパートには永田本人も出演している。90分を見終えて、質量感(妙な言葉だが)に打たれた。一対の男女の恋愛の実相をここまで丁寧に濃密に描いたドラマを久しぶりに見た気がするのだ。
 いわゆる恋愛ドラマにはあまり食指が動かない。昔流行った「男女7人夏物語」みたいなドラマ、題名から察するに適齢期の男女の群像劇で(7人だから最低でも一人はあぶれる)、恋の駆け引きが行われ、最終的に誰と誰がくっつくか予想するようなドラマには僕は興味が持てない(見ていないので僕の思い込みかも知れないが)。ただ、そういうドラマを好む人がいて、一定の需要があることは、今でも恋愛リアリティー番組などの人気があることからもわかる。
 一対の男女の恋愛だけでドラマを「もたせる」のは難しいから、どちらかが不治の病で余命を区切られていたり、若年性痴呆症だったりする。そういう設定(実話を基にしていることが多いので「設定」は不適切かもしれないが)なしに、恋愛をこれほどみずみずしく描くことが出来たのは、半世紀以上前の話ということもあるが、やはりこの二人が歌人で、折々に二人の詠んだ歌が挿入されていることの効果が大きい。タイトルになった永田の歌もそうだが、河野の「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫って行っては呉れぬか」という歌がとても印象深い。河野は「二人のひとを愛してしまへり」とも詠んでおり、永田と同時期に愛していたNという男性の存在が明かされる。そこで泥沼の愛憎劇が繰り広げられるのかと思いきや、Nはドラマの前景には出てこない。この時代、彼らが否応なく巻き込まれた学生運動も遠景のまま、最初の性交での河野の妊娠と中絶、大学院受験に失敗した永田の自殺未遂といったエピソードも描かれはするが、それよりは母の顔を知らない永田の境遇を知って涙するといったような、河野の一途な愛情の発露の方をより丁寧に描いている。
 ドキッとさせられる言葉があった。河野は幼い頃に母親の不注意から負ってしまった火傷の跡が腰に残っており、それを恥ずかしく思っていた。そのことを打ち明けた時、永田が「(そんなことを気にするなんて)馬鹿だなあ」と言う。彼女はそれに救われるのだが、問題は次に彼が発した言葉だ。彼は「で、子供は産めるの?」と言ったのである。今の感覚では絶対にNGだと思われる酷薄な言葉。だが、河野がそれに気を悪くした気配はなく、むしろ永田の愛を感じたようなのだ。確かに、ただ惹かれているだけの女性には絶対しない質問ではあろう。
 以前「愛に就いて」という投稿で、「恋は由緒正しい日本語だが、愛は外来語で、もともと日本にはなかった概念だ」というようなことを書いた。この場面を見て、男が「この女に自分の子どもを産ませたい」と思うこと、女が「この男の子どもを産みたい」と思うことはもしかすると「愛」なのかもしれないと思った。思い付きに過ぎないが、心にとめておこうと思う。
 最後に、河野裕子を演じた藤野涼子がとても魅力的だった。外形的な美しさよりも、確かな演技に裏打ちされた魅力だと感じた。これから注目していこうと思う。

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