12月20日
横須賀市の「くりはま花の里」に巨大なゴジラの滑り台があり、この時期はライトアップもされている。東宝の映画スタッフが建設にかかわったという話もあり、なかなかよく出来ている。なぜここにゴジラ像があるのかというと、5キロほど離れた同市の観音崎たたら浜が、初代ゴジラが初上陸した地である(諸説あり)からだそうだ。かつてはたたら浜にゴジラを模した滑り台が設置されていたが、老朽化により1970年代に撤去された。それを記念してここに復活させたものだというのだ。TVで紹介されることも多く、その都度このエピソードが語られるのだが、画面隅には「諸説あり」というテロップが表示される。「たたら浜」を紹介した観光サイトなどにも、一様に「ゴジラが初上陸した美しい白砂のビーチ」などと書かれているが、ここでも忘れずに「諸説あり」と書かれている。
京浜急行電鉄浦賀駅の「接近メロディー」は、伊福部昭作曲のゴジラのテーマをアレンジしたものであるが、これも近くのたたら浜にゴジラが初上陸したという設定にちなんだものだという(ただし、ウィキペディアの浦賀駅の項には「実際にはゴジラが上陸したのは北品川駅近くである」という註がある)。
これはどういうことなのだろうか。実はこの問題は僕が知る限りでも過去に数度、ネット上で議論になっており、その都度完全な決着を見ている。つまり、「ゴジラは観音崎たたら浜に初上陸してはいない」のである。初代ゴジラだけではなく、84年のゴジラも、2000年のミレニアムゴジラも、2016年の「シン・ゴジラ」もたたら浜には上陸していない。
そもそも映画上でゴジラが初上陸できる場所は一か所しかなく、「諸説」などありえない。それは実際の1954年版の「ゴジラ」を見ればすぐに確認できることだ。映画開始約45分後、ゴジラは品川駅付近に上陸する。これが本土初上陸である。その後ゴジラは東海道線の列車と激突、客車を口に咥える。有名な場面である。
ゴジラがいったん海に去った後、人々が避難場所へ急ぐ映像に次のような音声が流れる。「16時30分、観音崎北東15マイルの海中を北西に向け移動中のゴジラを発見」。これが、ゴジラ観音崎説の根拠になったのではないかと言われているのだが、それも変だ。ここでは「海中」とはっきり言われているし、たたら浜のたの字もない。むしろ横須賀に上陸していないことの証明にしかならないではないか。ついでに言うと、観音崎の北東15マイル(約24キロ)というのは、地図上では千葉県の木更津あたりの陸上になってしまう。このあたりは当時の脚本のいい加減さと言うべきか。
繰り返すが、ゴジラは横須賀市に初上陸していない。諸説などあるはずもなく、真っ赤な嘘なのである。それでもネット上も含め、あちこちにいまだにこのことが書かれている。それを見て信じる人がいる限り、「ゴジラたたら浜上陸説」は生き続けるのだろう。
こんなことにいちいち目くじらを立てるのは大人気ないかもしれない。だが、もしも横須賀に生まれて、この説を信じて大人になった人が、これが嘘であることに気づいた時にどんな気持ちがするだろうか。たかがゴジラと軽んじていい問題ではないと僕は思うのだが。
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