埼玉県の「悲劇」

歴史、古文書

8月1日

 先日、久しぶりに電車に乗っていると、若い男の子たちが話している声が聞こえてきた。埼玉県と千葉県のどちらが上かと言いあっているようだ。TVの「ケンミンショー」などでよくやってるやつだ。曰く、千葉にはディズニーランドがある、国際空港もある。埼玉にはスーパーアリーナがある、新幹線が停まる(駅がある)。話はだんだんにヒートアップして、X JAPANは千葉出身だ、ダンボールの出荷額は埼玉が日本一だ(なんでそんなこと知っているんだ?)等と続き、とどめとばかりに「千葉には海がある(埼玉にはない)」。対して「東京都との境界線が埼玉の方がはるかに長い」。これには、千葉推し(?)の子も「それは認めざるを得ない」と言っていたので、ちょっと笑ってしまった。東京との長い県境こそ埼玉県の「悲劇」を象徴するものなのだが。
 僕は千葉県出身だが、北西部のいわゆる東葛地区なので千葉市には数えるほどしか行ったことがなく、千葉県への思い入れもほぼない。県民性だの、ジモト愛だのという言葉をよく聞くようになったのは最近の話なのだ。今住んでいる神奈川は埼玉や千葉より「格上」と見なされているらしいが、少なくとも僕の住むあたりは、千葉県と特に変わらない。
 そもそも何をもって上というのか。都市化の度合いなら千葉より埼玉の方が明らかに上だろう。人口が約百万人多いからだ。面積は千葉の方が大きいから、人口密度となるとさらに大きな差になる。が、埼玉推しの子はなぜかそれを言わない。人口密度が高いのはむしろイメージがよくないらしい。一方、最近は「県の魅力度ランキング」という怪しげな調査の認知度が高いらしいが、それだと埼玉の分が悪い。千葉が例年15位前後なのに対して、埼玉は40位超。これはどうしたことだろう。
 さて、ここから脱線して蘊蓄話に入る。首都圏では普段旧国名を目にすることはあまり多くない。下総中山だの、武蔵小杉だという駅名で見るくらい。地方に行くと、香川県を讃岐というように今も旧国名がよく使われている。同じく四国の徳島=阿波、愛媛=伊予、高知=土佐のように、旧国と県が一対一で対応している場合は特にそうだ。山梨=甲州、長野=信州などという呼び方もよく使われる。長野県ではかつて分県運動が起こった際、阻止するのに一役買ったのが県歌「信濃の国」であったといわれている。「長野」という地名は全県を代表していないとして「信州県」に改名すべきだという意見も根強い。
 二つ以上の国が一つの県になっていることも多い(例えば千葉県は安房国・上総国・下総国の一部から成る)し、一つの国が複数の県に分かれることもある。摂津国は大阪府と兵庫県に分かれるが、大阪府は他に河内国と和泉国を併せ、兵庫県は丹波国の一部、但馬国、播磨国、淡路国を併せている。一つの国が他を併せることなく複数の県に分かれているのは、武蔵国からの東京都・埼玉県(神奈川県は相模国を併せる)と肥前国からの長崎県・佐賀県の二例しかない。埼玉県と佐賀県が東京都、長崎県に比べて影が薄いのは否めない。昨年の魅力度ランキングでは埼玉が45位、佐賀は46位と下位に沈んでいるが無関係ではないだろう。過去には佐賀県を揶揄するような歌が流行ったこともあった。有田焼・伊万里焼などの陶磁器、嬉野茶、活イカなど玄界灘の魚介、吉野ケ里遺跡などもあり、充分に魅力のある県だと思うのだが。
 さて、武蔵国から東京都と神奈川県の一部を除いた残りが埼玉県である。東京都との長い県境は、武蔵国を分轄した線である。コアとなる大都市もなく、かつての県庁所在地の浦和が市に昇格したのは全国で最後だった。2019年の映画「翔んで埼玉」の冒頭では「武蔵の国からいいとこ取りをされた残りの海なし県」=埼玉県と説明される。こういう自虐でシャレのめそうとするような姿勢は僕は嫌いではない。どっちの県が上かなどという論争もそれ自体を楽しんでいる分には良いのだろう。だが、「魅力度ランキング」となると話は別、こんなランキングに意味があるとは思えないのだ。埼玉県は発足時の人口約八十万人が、今は七百万を超えるまでになっている。魅力がない所にこれほど人が集まるはずはないし、人口が増えれば副次的に新しい文化が生まれてくる。それが全国に認知されていないだけだろう。
 それにしてもなぜ人はランキングとか、格付けとかがこんなに好きなのだろうか。

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