福永武彦と信仰

詩、ことば、文学

12月12日

 朝日新聞で連載されている「また会う日まで」は、作者池澤夏樹の大伯父である秋吉利雄を主人公兼語り手にした小説である。秋吉は海軍軍人にして天文学者、さらに基督者でもあるという人物だ。池澤の両親、福永武彦と原条あき子(山下澄子)も出てくる。先日は作者自身も(赤ん坊だが)登場した。はやりのファミリーヒストリーといったところだが、それが日本の近代史にもなっているのだ(この先ネタバレ)。特筆すべきは、実在の人物がすべて実名で出てくるところ。作者は膨大な資料を駆使してこれを書いているという。山本五十六や鈴木貫太郎、さらには(昭和)天皇まで登場する。そうなるとはたしてそれは「小説」なのか、という疑問も出てくるだろう。小説であるためには、いくつかポイントがあると思われる。
 一つは軍人にして戦史研究者というMという人物の存在である。すべて実名の登場人物の中、彼一人だけが仮名なのだ(秋吉の配慮ということになっている)。さて、この人物は実在するのか、虚構なのか。Mが秋吉に託した資料の内容が今後気になってくる。
 もう一つは前半の山場で語られた池澤の父、福永の出生の秘密である。福永は父末次郎の実子ではなく、母トヨ(秋吉の妹)が名前も知らぬ行きずりの男性との間に設けた子だという。トヨに思いを寄せていた末次郎はすべてを知ったうえでトヨと結婚したというのである。僕はこんな話は知らなかった。しかしこれが事実だとして、それを実名で小説に書くことは許されるのだろうか。既にみな故人であるとはいえ、いやだからこそ、書かれることを許可することも(拒むことも)できないのである。はたしてこれはこの小説のréalitéのために必要なことだったのであろうか。
 だが、この前提で意味が大きく変わる出来事がある。末次郎とトヨの実子として文彦が誕生した際、トヨは産褥熱で死ぬ。末次郎は文彦を秋吉の養子に出し、武彦はそのまま我が子とした。実子である文彦ではなく、血のつながらない武彦を育てることにしたのはなぜか。熱心な基督教徒だったトヨと同じく、信徒だった末次郎は、この機に信仰を捨ててもいる。
 福永に「河」という短編があり、自分の出生と引き換えに母を亡くし、父と二人暮らしの少年が描かれている。福永が弟文彦に仮託して書いた小説だと思っていた(この小説の時点で、文彦は既に早世していた)が、事実はもう少し複雑なのかもしれない。
 昨日の第482回、戦争が終わって初めてのクリスマスの日、秋吉は福永にどうして信仰を捨てたのかと尋ねる。対する福永の答え「捨てたつもりはないのです。父と暮らしていて教会に行くことが減って(中略)敢えて言えば主の声が聞こえなくなったというか。その後で思想的にうろうろしているうちに気が付いたら外に出ていた」。秋吉は「迷った羊」だと指摘し、「きっと見つけられてしまうぞ」と予言する。最後、秋吉は「いつか武彦は信仰に 帰るだろう」と思う。「それが何十年先だろうと」。
 実際に福永は死の二年前に受洗する。盟友だった中村真一郎は、福永の死後それを知り、生前に打ち明けられなかったことを驚き嘆いたという。だがそれはまさに何十年先の話なのだ。この時の福永は本当に「思想的にうろうろして」いたのだろうか。彼の小説「草の花」の主人公汐見茂思はこう言う。「僕が戦争になって、今迄以上に基督教が厭になったのはね、彼らが平然とこの戦争を受け入れたことだよ。なぜ反対しないのだろう。(中略)アメリカの基督教徒が神とデモクラシイとのために勝利を祈り、イギリスの基督教徒が神とキングとのために勝利を祈り、日本の基督教徒が神とエンペラーとのために勝利を祈るというのは,一体どんな神に対してだろう」。一方の秋吉とて、実際に戦地に赴きはしないが、例えば真珠湾攻撃の成功には、彼の潮汐研究が大いに役立った。彼のデータがおそらく基督者であるアメリカ人を殺し、さらに、基督者の国であるアメリカ軍が日本の無辜の市民を殺し、あまつさえ彼の第二の故郷である長崎を滅ぼしたというのに、彼の信仰はいささかも揺らがないのであろうか。「カエサルの物はカエサルに」という言葉で納得して、心安らげるのだろうか。この場面で秋吉と福永が火花を散らすようなことは、「史実として」なかったのだろう。だが小説としてはそれが欲しかったとも思う。
 もっとも、この小説はまだ連載途中である。いずれ完結して単行本になった時点で再度考えてみたいと思う。

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