「ぼく」 谷川俊太郎と「死の絵本」追加

詩、ことば、文学

3月29日

 3月16日の朝日新聞「声」欄は、「死を思うことは 恐ろしいけれど」という中学生からの投稿に対する反響を特集していた。年齢も性別も様々な人々が、死に対する考えを語っている中に谷川俊太郎のインタビューもあった。谷川が子どもの自死をテーマに作った絵本「ぼく」を(正確にはその制作過程を追ったドキュメンタリーを)取り上げた後なので、彼がどんな言葉を掛けるのか興味を持った。
「怖さ薄れ ちょっと楽しみ」という題で、①子どもの頃は自分の死より愛する母親の死が怖かった。②若い頃に比べて死が身近になった、恐怖も残っているが好奇心があってちょっと楽しみにも感じる。③自分は自我が薄いので、自分がいなくなる怖さをあまり感じない。④子どもの頃からエゴというものをなくしたいと思ってきた。詩も自己表現ではなく、他者とのコミュニケーションのつもりで書いてきた。⑤言葉には限界があり、実在には迫れない。死についても同じ。だから死の先に何があるのかという楽しみも生まれる。という趣旨のことを語っていた。
 前回も書いたが、彼が「ぼく」のテキストに途中から追加した「いなくなっても いるよ ぼく」という言葉がどうにもすっと入って来なかった。これでは甘すぎるし、無責任だと思ったのだ。だが、批判は当たっていなかったようだ。著者は死者がある意味で「生き続ける」ことを信じていたのである。調べてみると谷川俊太郎は、ここ数年繰り返し似た主旨の発言をしていた。「死は人生の一部分だ」「死は生と地続きだ」「肉体は服を脱ぐように脱げるもの、魂は生き続ける」「(死者は)俗世間で生きている僕たちとは違う形で生きている」。
 「いなくなっても いるよ ぼく」というのは心からの言葉だった。自死した子どもを突き放すのではなく、寄り添う気持ちの表れなのだ。残された人々には救いになる言葉でもある。だが、死を恐ろしいものとして描かなかったので、巻末に編集者からの「しなないでください」というメッセージが付くことになった。古くはゲーテの「若きウェルテルの悩み」のように、自死を描いた作品は(それが優れたものであればあるほど)新たな自死を誘発しやすいから。だが、今回は杞憂かもしれない。この絵本を読んで死について考えた子どもは、自死は選ばないような気がする。
 「声」欄の最初に紹介されていた13歳の少女は、「この恐怖からどう逃げたらいいんだろう。大人になったら、怖くなくなるのだろうか」と書いていたが、僕は60歳の今もこの子と同じように怖い。進歩がない。
 恩田陸の「夜のピクニック」の中で、高3の男子が、死について語り合うくだりがある。「死ぬのって、不条理だよな」「生きてるうちは、どういうものなのか絶対に理解できないじゃん」「実際のところ、どうなんだろう。その瞬間、分かるのかなあ。どんな気持ちなんだろ。真っ暗になって、おしまいなのかな。眠りに落ちるときの感じ?」この18歳の少年といまだに全く同じなのだ(もちろん書いた恩田陸は当時18ではないにせよ)。谷川の言う、「死は生と地続きだ」という風に(単に生きる知恵でなく)本当に思えるようになるには、あと30年くらい生きなければいけないような気がする(ちょうど僕との年齢差が30なので)。
 フランソワーズ・サガンが若い頃、死について問われ、「私がいつか死ななくちゃならないなんて、言語道断だと思うわ」と答えたというエピソードを、「悲しみよ こんにちは」の新潮文庫のあとがきで読んでずっと記憶していた。実際に亡くなったとき、あのサガンも(やっぱり)死んでしまったのかと思ったものである。
 最後に僕の旧詩を一つ。

甲板で風に吹かれながら、鉛色の海を見ていた

…おとうさん、ぼくはいつか死んでしまうの

「それはわからない」
わからないはずがあるか、五十年も生きてきて、お前は子供にこんなことしか言えないのか でも正直に答えるなら、他に言いようはない
「お父さんにわかるのは、私もお前も、今は生きているということだけだ 先のことは何もわからない」

…でも、おかあさんは死んじゃった 死んじゃった人はもう何も思い出さないのかな ぼくのことも 教えてくれたあやとりのことも

「それもわからない」
どうしてそんな風にしか話せないのか 海で死んだお前の母親は たとえばあの鷗に生まれ変わったのだと そう言えればいいのに それが真実かもしれないのに

…ぼく 忘れたくない もしぼくがずっと生きていたら ぼくは忘れちゃうのかな おかあさんの顔も おかあさんのにおいも

「忘れてしまう」
そう忘れてしまう 私が母のことを何一つ覚えていないように

…もしぼくがずうっと死ななかったら、ぼくは一人きりになってしまうの

「どんな人ももともと一人なのだ」

…さびしいよ

「さびしくはない」
そう寂しくはない 誰もいなくなったとしても、たとえばあの鷗がいるから

甲板で二人、風に吹かれながら鉛色の海を見続けていた

コメント

  1. Eiroff より:

    続報が聞けてよかったです。3月16日の新聞も見逃してましたが、まだ捨てておらず読めました。

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