川端康成「東京の人」

詩、ことば、文学

1月31日

 もう何度目か、「東京の人」を読んでいる。川端康成で何が一番好きかと問われれば(もちろん、問われたことなどないが)、ちょっと気取って「みずうみ」とか、あるいは「片腕」とか答えるかもしれない。だが一番多く読んでいるのは、この「東京の人」だ。
 この作品の知名度は、多分かなり低い。だが、実は川端が生涯に書いた小説の中で最も長い作品なのだ。刊行時には4分冊、新潮文庫版(現在は絶版)では3分冊である。この小説は複数の地方新聞に連載されたもので、当時の東京の最先端の文化や風俗を紹介するという意図があったのだろう。代表作の一つでノーベル賞にも挙げられた「古都」も、朝日新聞に連載され、(ディスカバー・ジャパンのブームより前に)古都京都の魅力を全国に発信するものだった。その意味で両者はよく似ているとも言える。
 東京・目白にある通称「ばら屋敷」に暮らす40才の白井敬子は貴金属と輸入時計のブローカーをしており、「夫」の島木俊三は出版社の社長だが、会社は倒産寸前である。敬子は戦死した夫との間に二人の子があり、清は大学生、朝子は劇団の研究生である。島木の娘である高校生の弓子も同居している。弓子は敬子になついているが、実母の京子は長く療養生活を送っていて、戸籍上はまだ島木の妻であり、敬子のことは親切な大家ぐらいに思っているという。その京子が目白の屋敷にやって来るところから話が始まる。
 文章は平易で読みやすく、名前を与えられているだけでも40人ほどが登場するが、混雑することもない。興趣が豊かで、この作者には珍しいほどドラマチックである。紙媒体では古書で買うか全集で読むしかないが、電子書籍も出ているようだ。

川端康成の新聞小説

 川端の新聞小説は、戦前の「浅草紅団」、戦後は「舞姫」「東京の人」「女であること」「古都」がある。「古都」を除いては、評価は高くない。
 川端は若い頃から「掌の小説」と呼ばれる短い小説や、コントを得意としていた。また代表作の「雪国」「花のワルツ」「千羽鶴」「山の音」などはどれも少しずつ雑誌に発表する形をとってきた。「雪国」には十年以上を費やしている。いわゆる連載と違うのは、読者は雑誌掲載の段階では独立した短編と思い込んで読まされているところ。つまりそれぞれの断片は短編として読んでも充分面白い。「花のワルツ」の新潮文庫の解説を書いた中里恒子は「その一回のどこでもが踊り、一つにつなげばたちまち全部が踊る、全く独自の妙法」と評している。この手法が戦後、新聞小説に繋がっているのではないかと思う。
 三島由紀夫は、新潮文庫版「舞姫」の解説に、不自然なまでに綿密な情景描写の後に、それを納得させるような心理や性格の描写が現れるとして、それを「隔靴搔痒のリアリズム」と名付け、「俺にはこういう風にしか見えないのだぞ」という作者の注釈が至る所にあると言っている。三島らしい見方だが、言葉を変えるとまだこの時点では作意がやや鼻につくということだろう。「東京の人」になるとこうした「神の視点」もずっと自然になる。
 僕は大学の時、この小説の中の「ピンクの真珠」という一章を取りあげて、小説作法を考察するレポートを書いた。川端が新聞連載という発表方法をいかにうまく使っていたかということを書いたような記憶がある。「ピンクの真珠」はこんな話だ(この後一つの章のあらすじを書くが、多少ネタを割ったくらいで、この小説の魅力は失われないと思う)。
 島木の失踪後、敬子は昭男と逢引するようになる。宝石デザイナーとしての仕事は順調で、自分の店を持つことを考え始めている。昭男は大胆にも目白の屋敷の近くにアパートを借りて移って来ている。敬子は島木の「愛人」だったみね子が真珠のブローチをつけていたことを思い出し、島木が買ったものだと直感すると同時に、弓子にピンクパールの指輪を作ってやろうと思い立つ。九月の終わりの日曜日、風の強い日に、友達との待ち合わせに出かける弓子に、敬子は出来上がった指輪をはめてやる。弓子は目白駅で、敬子に電話してボックスから出てきた昭男と出会い、指輪を見せる。さっそく家の近くで敬子の家族に会ってしまったことにうろたえる昭男だが、弓子は疑うそぶりもない。一方、敬子は昭男と会うために、桃色の磨き粉をつけて爪を磨きながら、まとわりついてくる息子の清にいら立つが、話が昭男のことになるとどうしても気になる。結局清と一緒に駅まで行くが、さいわい清の乗る新宿方面が先に来たので、引き返して昭男のアパートに向かう。昭男は珍しく着物を着て敬子を待っているが、先ほどまで兄嫁が来ていて、敬子と会いはしないかとハラハラしていたというのだった。
 敬子から弓子、昭男そしてまた敬子と視点が移り、弓子のピンクの真珠と、敬子の爪磨きという象徴を巧みに使いながら、弓子や昭男、清の心理も描かれる。一回掲載分にごとにヤマを作り、次への興味をつなぐように工夫されていることが読めばわかる。
 僕がこの小説を初めて読んだのは中学の頃、耳鼻科の医院に通院していた時で、待合室に「続東京の人」と「続々東京の人」の二冊があった。四巻本の二冊目と三冊目である。待ち時間の長さはその都度違い、なぜか本がないこともあったが、どのページをから読んでも面白かったのを覚えている。
 最近三島由紀夫の「美しい星」や「命売ります」などが再び注目されているが、川端の埋もれた作品にもぜひ光を当ててほしい。「東京の人」は連ドラにするにはうってつけの作品だと思うのであるが…。

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