ゴジラと皇室

音楽、絵画、ドラマ

2月28日

 ゴジラは何故皇居を破壊しないのかを大マジメに論じた人たちがいる。赤坂憲雄は、ゴジラは第二次大戦で南洋で死んだ兵士たちへの鎮魂歌だという川本三郎のエッセイを引用しながら、「川本はそこで、皇居を前にしたゴジラが突然まわれ右をして海へ還るシーンに、痛ましさをみいだし、こんなふうに書いた。/戦争で死んでいった者たちがいままだ海の底で日本天皇制の呪縛のなかにいる……。ゴジラはついに皇居だけは破壊できない。これをゴジラの思想的不徹底と批判する者は、天皇制の「暗い」呪縛力を知らぬ者でしかないだろう。/とても興味深い理解である。(中略)『ゴジラ』の基層には、おそらく無意識の構図として、戦争末期に南の海に散っていった若き兵士たちの、ゆき場もなく彷徨する数も知れぬ霊魂の群れと、かつて彼らを南の戦場に送りだし、今死せる者らの魂鎮めの霊力すら失ってただの人間にかえった、この国の最高祭祀者とが、声もなく、遠く対峙しあう光景が沈められているはずだ」という(「ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか?」別冊宝島 怪獣学・入門!より引用)。
「ゴジラ」が、先の大戦を色濃く反映した映画であることは間違いないが、皇居を「破壊しない」理由とはさすがに深読みが過ぎるように思う。単純に、問題になるのを恐れただけだろう。今でさえ、皇居を破壊する映画など作ったら社会問題になってしまうに違いないからだ(「今でさえ」ではなく「今ならなおさら」かも知れないが)。
 それにしても、本当にゴジラは皇居を前に「まわれ右」などしているのだろうか、実際に見てみる。ゴジラは竹芝に二度目の上陸の後、札の辻から第一京浜沿いに北上して銀座を破壊、日比谷から国会議事堂のある永田町に向かい、平河町のテレビ塔を破壊する。日比谷あたりでの動きが不自然と言えなくもないが、ゴジラは光に反応するので、真っ暗な皇居の森には向かわなかったのだと説明できなくもない。テレビ塔を破壊した後は省略されていて、次にゴジラが姿を現すのは隅田川の下流である。結局、皇居を焼かなかったかどうかは、映像からは「わからない」のだ。
 制作陣はこの映画を作るにあたり、皇居をどうするか、皇室を描くかどうかの検討をしたのであろうか。案外、忘れていたというのが本当のところなのではないだろうかと思う。1954年と言えば、東京大空襲から9年しかたっておらず、その間日本は占領統治も経験した。NHKが初めて天皇に対する国民の意識調査を行なうのは、二十年近く後の1973年のことであるが、結果は「無感情」がトップで43%だった(以下、尊敬・好感・憎悪と続く)。その間には、皇太子(現上皇)のご成婚(いわゆるミッチーブーム)もあったりしたのだが。
 しかし、再び東京が焦土と化す84年版も含め、これ以降のゴジラ映画にも皇室は一切登場しない。そうなると、これは意識的に捨象したとしか考えられないだろう。極めつけは「シン・ゴジラ」である。「『現実(ニッポン)』対『虚構(ゴジラ)』」というキャッチフレーズで、現実の日本にゴジラが本当に出現したらどうなるかを、徹底的に追求したという触れ込みであった。であるならば、一度目の蒲田上陸の時はともかく、二回目の上陸までには皇室をどこかに避難させるべきという議論が起こっていなければおかしいだろう。二回目の上陸の時点でまだ皇居にとどまっていたとしても、国連軍の熱核攻撃が予定されている段階では避難しない筈がないし、それがニュースにならない筈はない。つまり、この世界には皇室は存在していない。そういう選択をしたということである。それが何故かはわからない。わからないからとても気になる。

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