「悪魔の手毬唄」考①

詩、ことば、文学

1月21日

 「悪魔の手毬唄」は、横溝正史の作品のなかでも、僕が最も偏愛する作品である。以前、「犬神家の一族」について書いたのは、これが書きたいための前振りだったのだ。今後しばらくこの小説と、これを原作とした映像化作品について述べてみたい(以下ネタバレあり)。
 「悪魔の手毬唄」は横溝の代表作の一つではあるが、さりとてナンバーワンにあげられることはまずない作品であろう。本格謎解きとしては「本陣殺人事件」、娯楽小説としては「八つ墓村」、両者の融合として「獄門島」を代表作に推す向きが多いのではないかと思う。「手毬唄」は、論理的に犯人にたどり着くように書かれてはいるが、謎解きとしてはちょっと弱い。メイントリックは「顔のない死体」の変形で、当時としては画期的なものだったと思うが、今では有名になりすぎてしまった。見立て殺人としては、「獄門島」「犬神家」の二番、三番煎じ、村の二大名家の対立というテーマにしても、「獄門島」や「八つ墓村」の同形反復に過ぎないという意見もあるだろう。
 年譜で見ると、この作品は他の代表作から一つだけ離れている。「本陣」「獄門島」「八つ墓」「犬神家」に「夜歩く」を加えてもすべて1946年から51年までに書かれているが、「手毬唄」が完成したのは59年。横溝は戦後、抑圧されていた戦時中の鬱憤を晴らすかのように立て続けに本格長編をものした。が、50年代は本格探偵小説の冬の時代になってしまう。そのせいかあらぬか、この時期の横溝は「幽霊男」「吸血蛾」などの、エログロ臭が強い通俗的な作品を多く書いた(エログロ趣味は横溝の持ち味でもあり、これはこれで十分面白い作品たちなのだが)。「大横溝の名を汚す」等と批判されていたともいう。その横溝が久しぶりに、「満を持して」取り組んだのが「手毬唄」なのである。過去にも書いた同じ趣向を使ったのも、「今ならもっとうまく書ける」という自負の現れだろう。実際、もし「パロディにされやすい作品ランキング」があれば、第一位になるのではないかとも思う。手毬唄に乗って演じられる連続殺人、夕暮れの峠道を歩いてくる腰の曲がった老婆や土蔵の壁に写る老婆の影、口に漏斗を差し込まれた死体、葡萄酒の醸造樽に浮かぶ死体(これは市川崑の映画によるものだが)等々…。それだけ横溝「らしさ」のエッセンスが詰まった作品なのである。
 だが、その印象的な映像の記憶ゆえに、誤解されている部分も多いのではないかと思う。「犬神家」でも触れたが、映像化作品は必ず改変を含んでいる。そのイメージが強すぎて原作とは全く別物になってしまうこともある(最も顕著な例は松本清張の「砂の器」だろう)。「手毬唄」の場合、直近では加藤シゲアキが金田一耕助を演じた作品が2019年に放映されたが、残念ながら原作の良さが生かされているとはいえないと感じた。そして、その元凶は77年の市川崑監督による映画にあると僕は思っている。
 その話をする前に、まずは僕が思うこの小説の魅力を少し語ってみよう。円熟期のストーリーテリングのうまさはもちろんだが、登場人物が今風に言えばキャラが立っている。妖怪然とした由良家の五百子翁と八幡様とよばれる男勝りの敦子。仁礼家の当主嘉平は映像作品では、財力を恃んで傲岸不遜な人物というステレオタイプな描かれ方が多いが、実は酸いも甘いも噛み分けた苦労人として、魅力たっぷりに描かれているのだ。磯川警部と旧交を温める本多老医師もいい。憎めない小悪党といった感じの別所辰蔵も面白いのだが、白眉は、多々羅放庵である。八人の妻を持ったというこの世捨て人的な教養人は、登場直後に失踪し、「生きているのか死んでいるのか」わからない状態で物語に影を落とす。
 物語の舞台となる昭和30年は僕が生まれるだいぶ前だが、高度成長のとば口という時期だろう。戦後の混乱は収まり、社会全体に明るさが見えてきて、一方、地方には昔ながらの習俗が残っている。舞台の鬼首村は岡山と兵庫の県境で、徒歩で峠を越えればその日のうちに神戸まで出られる。葡萄栽培の成功で潤ってもいる。「獄門島」や「八つ墓村」のように因習や旧弊に閉ざされた暗い村というイメージではないのだ。若者たちが生き生きと描かれているのも、前二作とは違う特徴である。そして、金田一は43才、もう立派な中年である(ちなみに、謎の老婆「おりん」は58才(!)の設定である。58歳で老婆と呼ばれる時代だったのだ)。奇矯な行動は影を潜め、人情味すら感じられるほど。磯川警部との息の合った掛け合いも楽しい。まるで歳時記の頁をめくるように、のどかな村の美しい夏の風物詩とともに物語が進行していく。陰惨な事件を扱ってはいるが、随所に情味が感じられ、読後感も悪くない。
 だが、市川崑による映画はこの原作のイメージを大きく変えてしまったのだ(この項続く)。

コメント

タイトルとURLをコピーしました