大正浪漫三部作 ~とりわけ「ツィゴイネルワイゼン」

音楽、絵画、ドラマ

2月22日

 昨年は鈴木清順の生誕百年だったということで、代表作の「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」「夢二」が4K修復された。大正浪漫三部作などと呼ばれているらしい。それが日本映画専門チャンネルで放映されたのを見た。前二作は封切り時に観ている。特に「ツィゴイネルワイゼン」は、シネマプラセットという、仮設テントみたいなドーム型の小屋で観た記憶が残っている。当時僕は大学の自主製作映画サークルに入っていたのだが、周りは皆「陽炎座」の方が凄いと言っていた。確かに圧倒的な映像美という意味では「陽炎座」が上かも知れない。松田優作の人気が絶頂だったせいもあるだろう。だが僕は「ツィゴイネルワイゼン」の方が好みだった。今回比較してみて、その理由が少しわかった気がする。
 どちらの作品にも、原作がある。「ツィゴイネルワイゼン」は内田百閒の「サラサーテの盤」、「陽炎座」は泉鏡花の同名作品だ。鏡花のはこの作者らしい耽美的な幻想小説だが、百閒は単なる幻想小説の枠にとどまらない(と僕は思う)。ほんの少しずつ何かがおかしい、もしかしたら合理的に説明がつくのかもしれないが、でも違う、という思いがじわじわと存在にかかわる根源的な不安に変わってゆく…。そんな味わいの小説なのだ。

 (ここからネタバレ)映画では藤田敏八演ずるドイツ語教師の主人公(靑地という名前になっている)が、友人の中砂(演-原田芳雄)の奇行に振り回され続ける。中砂の先妻と後妻(演‐大谷直子・二役)が瓜二つだというのは原作にはない設定である。さらに言えば、乳飲み子を残して先妻が亡くなった後、一時的に「滅茶苦茶な生活」をしたとはあるが、原作の中砂は映画ほど無頼漢ではない。妻の病身の妹も出てこないので、主人公が義妹の話から、妻(演‐大楠道代)と中砂の不貞を疑うエピソードもない。
 中砂の死後、夕暮れ時の同じ時間に後妻が先妻の娘(映画では豊子という名になっている)を連れて訪ねてくるようになった。生前に中砂から借りたままになっていた本などを返してもらいに来るのだが、上がるように勧めても玄関口から動かない。中砂は貸した本を記録しておくほど几帳面ではないし、専門書の名前がどうしてわかるのか不思議に思っていると、今度はチゴイネルバイゼンのレコードが来ているはずだと言ってくる。途中でサラサーテ自身の声が入っているといういわくつきのレコードである。そのレコードを持って中砂家を訪ねると、後妻は娘がいないことに気づいて取り乱し、「ああ、幼稚園に行って、いないんですわ」と言って泣くところで小説は終わる。
 だが、映画には続きがある。中砂家を辞した靑地は、豊子と出会う。最初観たときにはよくわからなかったのだが、豊子の履物の跡に六文銭の文様がくっきりと浮き出ている。三途の川の渡し賃という意味なのだろう。豊子が白菊に飾られた小舟の前で手招きすると、柝(き)が入り、映画は終わる。
 この映画の主人公靑地は「見る人」である。中砂の傍若無人の振る舞いにも、眉を顰めることはあれ、止めはしない。傍観者に徹しているのだ。自分に累が及ばない限りは楽しんでいるふしもある。それが、「お父さんは元気よ。小父さんこそ生きているって勘違いしているんじゃないの」という最後の豊子の言葉で暗転するのだ。

 「陽炎座」の原作は、松崎という男が狸囃子(たぬきばやし=本所七不思議の一つで、どこからか笛や太鼓の音が聞こえてくるという怪異)に導かれて、子供の演じる不思議な芝居を観る話だが、この部分は約2時間20分の映画の終盤の30分程度でしかない。話の鍵を握る二人の女性、おイネ(演‐楠田枝里子)と品子(演‐大楠道代)の関係性は同じだが、イネはもと金髪のドイツ人女性イレーネの日本名だということに変わっている。松崎(演-松田優作)は新派の劇作家、イネの兄は登場せず、代わりに松崎のパトロンでイネと品子、二人の夫である玉脇男爵(演-中村嘉葎雄)が重要な役割を果たす。また、ストーリーと関係なく原田芳雄が、前作の中砂とよく似た振る舞いをする人物として登場する。
 前作との違いは主人公の差だ。靑地はあくまでもこちら側の人間として描かれ、だから感情移入もできたし、現実存在が揺さぶられる怖さがあったのだ。それに対して、松崎は最初から半分以上あちら側の世界に踏み込んでしまっているように僕には見える。松崎が分裂するかのようなラストにも、「ツィゴイネルワイゼン」のラストほどの衝撃はない。
 「退屈だから、心中でも見物しよう」という玉脇のわかりやすい俗悪さも、あまりにも芝居がかっていて、見ている側の現実が揺さぶられない。楠田枝里子演ずるイネがまるで怖くなく、前作の大谷直子とは格の違いを感じた。
 様式美とか、色彩感覚、ケレンの派手さは前作以上で、前述したが映像の凄さはこちらが上だろう。美術が(実相寺昭雄作品の常連である)池谷仙克に代わった影響もあるかもしれない。ラストでは背景が月岡芳年ばりの「無残絵」だらけになるあたりも、前作以上にやりたい放題という感じだ。

 「陽炎座」が好きな人なら、「夢二」も好きだろう。こちらは原作のないオリジナルストーリーだが、「陽炎座」と同工異曲の作品だからだ。舞台が金沢というのも同じなら、ボートが高速で進むとか、ハリボテのセットが一瞬にして壊れるなど、類似するイメージが多い。主人公の男性の色気という点では、沢田研二の方が松田優作より上だろう。女性をぬか漬けにするなど悪ふざけが過ぎるシーンも含め、さらに「やりたい放題」の映画になっている。
 これに比べれば、「ツィゴイネルワイゼン」は抑制が効いていると思えるくらいだ。そして、こういう映画は鈴木清順であっても、生涯に一作しか作れなかったのだろうと思えるのだ。

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