歴史とは何か、または「民主主義の行方」

歴史、古文書

12月30日

 少し前のことだが、朝日新聞の「異論のススメ・進むべき道が見えなくなった 佐伯啓思さんが考える日本の現在地」という記事を読んだ(12月16日)。佐伯は山本七平を引用しながら、概略次のようなことを述べていた。
 日本は1945年の8月15日を境に「天皇陛下万歳、鬼畜米英」から「マッカーサー万歳、民主主義万歳」へと豹変したとされるが、実はどちらも本心から信じていたわけではない。日本人は「神」の代理として、価値の基準になり、日本社会に秩序を与え、日本の向かうべき方向を指し示すものを常に必要としており、それが戦前は天皇、戦後はアメリカ・民主主義だったのだ。冷戦終結後はアメリカに代わり「グローバルな世界」が価値基準になったが、それはいまや機能不全に陥ってしまった。結果、日本は進むべき指針を見失ってしまった。
 
 僕(1961年生まれ)は、ずっと民主主義を最善のものと信じて生きてきた。「リベラリズム」という言葉もほぼ同義で使ってきた。社会人になってからも、例えば新しい職場について「リベラルな所だ」という情報を得ると安心した。この場合の「リベラル」とは、自分の意見が言える風通しの良い職場を意味する言葉だからだ。だからネット上などでリベラルを揶揄するような言説を初めて見た時は驚いた(今はかなり慣れたが)。リベラルという言葉がネガティヴな意味で使われるなど想像も出来なかったのだ。気が付けばもう、民主主義やリベラリズムが普遍的な価値基準だった時代はいつのまにか終わっていたということだろうか。それにしても僕という人間の価値観や志向が、生まれた時代によって決定されたのだと思うとなんとなく味気ない気もしてくるのだ。
 ここで脱線。少し前のことだが、坂本龍馬についての記述が歴史の教科書から消えるかもしれないと話題になった時、「龍馬がいなかったら薩長同盟もなく、明治維新は起きていなかったかもしれない」と口から泡を飛ばして龍馬の偉大さについて熱弁している人をTVで見た。確かに、いわゆる「薩長同盟」締結の場に龍馬が居合わせ、一役買ったことは間違いなく、木戸孝允がそれに感謝したという書状も残っている。だが、そもそもこの「同盟」を企画したのは龍馬ではない。他にも彼の事績とされているものの中には、彼が始めたのではないものや、後の創作である疑いが強いものが多いという。坂本龍馬をここまで有名にしたのは司馬遼太郎だが、彼の筆名は、「司馬遷には遼(はるか)に及ばない」という謙遜からきている。司馬遷は言うまでもなく「史記」の作者で、個人の伝記を集成して歴史を語る「紀伝体」というスタイルを完成させた人物とされる。ある特定の人々の特定の行為の積み重ねが、歴史を作ってゆくという考え方だ。高校の授業で「鴻門の会」を読んだ人は多いと思うが、もしあそこで項羽が劉邦を殺していたら、漢王朝は生まれなかっただろうということだ。
 ここでさらにまた脱線、若い頃読んで好きだった本にアイザック・アシモフの「永遠の終わり」がある。所謂時間旅行物のSFだが、そこでは「永遠人(エターナル)」と呼ばれる人々が、時間軸を移動しながら、最小の作為で歴史を変更していく。例えばある人物がある会合に出席するのを阻止すると、その結果ある製品の開発が遅れ、それがやがては大きな戦争の阻止につながると言った具合だ。
 もちろんこれはフィクションだが、歴史の分岐点になるような時点で「もし〇〇がなかったら…」という所謂「歴史のif」はよく取り上げられる。先ほどの「坂本龍馬がいなければ」もその一つだ。人が歴史を作るという考え方の典型である。
 ここで、最初の佐伯の記事に戻る。佐伯は明治維新を実現した「尊王主義」はなぜ生まれたのか、山本七平の言葉を借りて以下のように説明する。
 徳川政権はは、身分社会や君臣関係を維持するために中国から導入された儒学、とりわけ朱子学を利用した。朱子学は、忠による君臣関係にもとづく社会秩序を絶対視するからだ。だが中国では国の統治者は天子であり、これを日本に当てはめると、日本の正統な統治者は天皇ということになり、徳川ははあくまで天皇の権威によって統治を委任されているに過ぎない。このことが、幕末の尊王攘夷(じょうい)運動の一因となったのである。

 僕はこの欄で過去何度か、江戸時代には「幕府」や「藩」という言葉はほとんど使われていないし、徳川政権側は決して使わなかったと書いた(『藩なんて知らないよ①②』、『信長や秀吉はなぜ幕府を開かなかったのか①②』)が、これらの言葉は朱子学者や国学者が、正当な統治者であるはずの天皇が国を治めていない状況を説明するためにひねり出した概念なのだ。そしてこういう概念が出てくれば、いずれ徳川の統治が終わることは必然だった。ここで説かれているのは、「歴史(の流れ)が人を動かす」という考え方の一典型である。勿論、人間が出てこない歴史は無味乾燥でしかないが、人物のエピソードだけ集成しても歴史にはならないということだろう。

 前述の記事の最後で、佐伯は日本の歴史上、これほど国の進むべき方向を指し示す価値基準が見えなくなった時代は稀だという。だが、本当に「民主主義」は過去の価値基準になってしまったのだろうか。同じ朝日新聞の論壇時評(12月28日)で、宇野重規が、「かつて冷戦の終焉に際して『歴史の終わり』を発表し、自由民主主義こそが政治制度の最終形態であると論じた政治学者のフランシス・フクヤマも、直近のインタビューにおいては、世界が『軍事力がものをいう20世紀の地政学的世界に後戻りした』という認識の下、『米国は権威主義的な政治体制に移行する危険性が最も高い』と告白している。はたして民主主義の世界的な後退を食い止めることはできないのだろうか」と書いている。宇野ならずとも、「民主主義の行方」が気になる。

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