2月14日(水)
ブロッコリーが「指定野菜」になるというニュースを見て、僕(1961年生まれ)が初めてブロッコリーを食べたのがいつだったか考えたのだが、いっこうに思い出せない。今では毎日のように食べている食材なのだが、少なくとも小中学生の頃には食べていなかったと思う。カリフラワーならあったが、日常的に食膳に上るようなものではなかった。
同じことはアスパラガスにも言え、僕が子どもの頃にはグリーンアスパラなどはなく(ある所にはあったのだろうが)、アスパラと言えばホワイトアスパラガスで、缶詰に入った高級品だった。就職して一人暮らしを始めた頃、アパートの近くにあったスーパーで、穂先のないホワイトアスパラの缶詰がいつも見切り品として安く売られていて、それとニューコンビーフ(馬肉を主とした雑肉の“コンビーフ”)が当時の僕の最高のご馳走だった。
その他、パプリカ、アボカド、エリンギなども僕の子どもの頃にはなかった。ベーコンは代用品の鯨ベーコン(今では逆に高級品だが)だった。クリスマスや誕生日のデコレーションケーキは、生クリームではなくバタークリームで、それもマーガリンなどを使ったまがい物だったから、ちっともおいしくなかった。思えば貧しい食生活だった。
幼い頃のうっすらした記憶だが、我が家では、日曜日の朝は魚肉ソーセージとキャベツを炒めてソースをじゃぶじゃぶかけたものと、食パン、薄い紅茶(ティーバッグをケチって一個で三杯くらい淹れていた)がお決まりで、当時はそれをおいしいと思って食べていたのだった。
そんな僕でさえ小学校の給食は大の苦手だった。人参でもピーマンでも何でも食べられたのに、給食は食べられなかったのだ。班の全員が食べ終わらないと校庭に遊びに行けないという謎のルールがあり、おかげで僕は毎回班のメンバーから「がんばれ」と励まされていた。どうしても食べられない時はパンをくり抜いておかずを詰めて持ち帰り、家で捨てていた。パンは持ち帰っていいことになっていたからである。
給食のソフト麵が懐かしいなどという話をよく聞くが、まったく信じられない。上にかけるシチュー(?)が熱ければまだしも、冷め切ってしまっているので、とても食べられたものではなかった。給食メニューで好きだったのは、揚げパン(黄粉ならなおさら)とクジラの竜田揚げぐらいである。
そんな僕が子どものころ好きだった食べ物のベストスリーを挙げてみる。題して「我が幼少時代の悪食」。まずは「鮭缶の中骨」だ。当時、魚肉缶詰の王様は鮭缶だった。僕は鮭の身には目もくれず、中に入っている骨ばかり拾って食べていた。ポクポクした独特の食感が好きだったのだ。そういう人は結構いたようで、後には「鮭の中骨缶」が商品化された。
次はハムカツ。最近の高級なハムカツとは違う。肉屋の惣菜で一番安かった。これ以上薄くは切れないだろうというほどペラペラのハムを揚げたものなのだが、そもそもハムが違う。当時はプレスハムだった。知らない人のために説明すると、プレスハムとは様々な種類、部位のくず肉を、つなぎを入れて整形したもので、当時はハムと言えばこれだったのだ。使われている肉はマトンが多かったらしく、そのままでは独特の臭みがあったのだが、カツにすると抜群に旨かった(もし今食べたらどう感じるかはわからないが)。
そして一番の好物が「イカ天の衣(だけ)」である。惣菜として売られている、衣たっぷりのぼってりしたイカの天ぷら。中のイカの身が面白いようにするりと抜けるので、イカは大人に食べてもらい、僕は衣だけ食べていた。これは何の天ぷらでもいいわけではなく、イカでなくてはならないのだ。ほのかにイカの風味が移った衣が絶妙に旨かった。
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