歴史、古文書

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「士農工商」は、制度ではなくイデオロギー

身分の序列を意味する、制度としての「士農工商」は、実体として存在はせず、あくまで儒学者たちが唱えたイデオロギーだった。近代以降の教育で、明治新政府の「四民平等」を称揚する際に、対立概念として強調され、広まったのである。
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「葛飾民」

11月11日  朝ドラの「おかえりモネ」をずっと見ていた。テーマを純化させるためなのだろう。やさぐれた人間など出てこない。みんな心に傷を持ちながら、真っ当でかつ優秀な人たちである。百音は三回で気象予報士試験に受かるし、未知もワカメの研究で成...
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仏教国・日本

10月3日 今年の秋のお彼岸は、まず義母の墓参。妻の家の墓は本牧の三渓園の近くにある。「お掃除代」という名の管理費、去年の分と合わせ一万二千円を支払った。前回来た時は古い卒塔婆がかなりボロボロになって残っていたが、それもきれいに取り払われて...
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目からウロコ 「倭」と「日本」は別の国だった②

8月19日   (「九州王朝」の話 つづき)  「魏志倭人伝」などの中国側の史料に現れる「倭」は、大和王権とは別の王権であったというのは、そんなに驚くべき考え方ではない。近畿天皇家のみが統治する正当性を持っているというのは記紀を通じた考え方...
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目からウロコ「倭」と「日本」は別の国だった①

8月10日  「倭」と書いて「やまと」と読む。例えばヤマトタケルノミコトを、日本書紀では「日本武尊」と表記するが、古事記では「倭建命」と書いている。ただしこの「やまと」という訓は、日本の側で勝手にそう読んでいるだけだ。歴代中華王朝の側から見...
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信長や秀吉はなぜ幕府を開かなかったのか②

7月31日    (幕府の話 つづき)  徳川氏が、源氏の流れを汲んでいるというのはもちろん虚構である。家康は家名に「箔をつける」ために系図をでっち上げてきたにすぎない。このことについて、「家康は、自らが征夷大将軍になって幕府を開く目的で、...
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信長や秀吉はなぜ幕府を開かなかったのか①

7月25日  きっかけはあるTV番組だった。歴史教科書の内容が昔と変わっているという話の中で、「イイクニ」が、今では「イイハコ」となって、鎌倉幕府成立が1185年に変わっていると紹介されていた。その後、軽い付け足しのように、「そもそも幕府と...
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「藩」なんて知らないよ②

7月14日 (藩の話 つづき) 「幕末」期の文書に見える「藩」  江戸時代を通じて、「藩」という言葉はほとんど知られていないし、使われていないというのが前回の主旨。だが、いわゆる「幕末好き」の人なら、長州藩や薩摩藩などの雄藩連合はなかったと...
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「藩」なんて知らないよ①

7月10日  古文書の勉強を始めたばかりの頃、藩の境界をめぐる訴訟について書かれた文書を読んだことがある。だが、その内容以前に僕が気になったのは、当の文書のどこにも「藩」という文字が出てこないことだった。そこで、たまたま手元にあった高校の日...