「ポーの一族」再読、それから②

音楽、絵画、ドラマ

5月8日

 「ポーの一族」の続編4冊を続けて読んだ。ページ数だけなら、1972年~76年の「正編」に迫るほどだし、「秘密の花園」は単一エピソードとしては過去最長となる。新しい連載も始まるようだし、作者の衰えを知らない創作意欲には圧倒される。(この先ネタバレ)

「春の夢」

 カバー裏の作者のことばに「顔も絵も変わりました」とある。実は「正編」でも途中で大きく絵が変わっている。パイロット版の短編3作から、いわゆる三部作で一旦休止となり、「エヴァンズの遺書」で再開されるのだが、この休止期間の前と後で大分顔が変わっている。休止前は上下が詰まった「ネコ顔」なのに対し、休止後は面長で、典型的な少女漫画顔だ。
 てっきり、「エディス」の後日譚から始まると思っていたので、1944年という設定にまず意表を突かれた。注目すべき点として、
①エドガーが、ブランカという少女に興味を持って接近すること。これまではエドガーが目的なしに人間に近づくことはほとんどなかった。例外は「はるかな国の花や小鳥」だが、これは当初から「番外編」とされていた。②別の種族の吸血鬼(ヴァンピール)ファルカが登場し、エドガーたちを助ける。彼は「目」をすり抜けて空間移動するという能力も持っている。③「ポーの村」からクロエ、シルバーら、同族のバンパネラがやってくる。エドガーは彼らに一年に一度「気」を分け与えるという契約をしていた。④ブランカの伯父、ダン・オットマーは、ポーとは別の不死の一族の末裔であった。⑤ダン・オットマーの復活を手助けするために、大老ポーが現れる。彼は既に目覚めて旺盛に活動しており、アランの存在も知っていた。
 ここでの問題は③だ。44年の時点で、エドガーは「ポーの村」と連絡できており、村側はエドガーの帰村をむしろ促していた(アランの入村は拒んでいた)ことがわかる。エドガーが「悪いヤツの親玉」と評したクロエの言葉から、ポーの村のダークサイドも明らかになる。村では若い男か女を毎年一人ずつ連れて来て、順番に血を吸って、最後には殺していたというのである。もとより、バンパネラは人間を「糧」にしているのだし、善悪の基準が違うと言えばそれまでだが、「グレンスミスの日記」の根底にあった、バラの咲く平和な村のイメージに不協和音が入り込んだ感は否めない。
 車夫に襲われたブランカをエドガーが助ける際、エドガーにも空間移動能力が発現する。なるほど、ファルカの登場はこのためだったのかと気づく。それにしても、人間に興味がないはずのエドガーが、危険を冒してまでブランカを助けたのは、やはり彼女に恋していたからだろう。そう考えれば、彼女の蘇生をファルカに託したことも腑に落ちる。「エディス」でアランに向かって言った言葉、「愛していれば愛してるほど きみは後悔するんだ」という言葉に見事につながる。

「ユニコーン」

 4つのエピソードで構成される。「わたしに触れるな」、やはりエドガーは生きていた。「目」を通って逃れていたのだ。2016年、ミュンヘンにファルカを訪ねて来るが、その目的はアランを再生するためだった。するとそこに不気味な男が現れる。ファルカは彼を“ダイモン”、シルバーは“バリー“と呼んで恐れている。二人の話から、彼が大老ポーから直接洗礼を受けたこと、そしてファルカを「作った」ことがわかる。これでファルカも(さらにはブランカも)元をたどれば同じポーの一族ということになる。エドガーはこの男を“ミューズ”として記憶していた。アランを再生できるというこの男に、エドガーがついて行くところで話は終わる。
 次の、「ホフマンの舟歌」は、1958年のヴェネツィアが舞台。「春の夢」の後日譚でもある。ここでエドガーとアランは“ミューズ”と名乗る男に会い、男はアランに本当の名前を教える。また、エドガーはオットマーたち不死の一族(ルチオという)の始祖だという女性に会う。
 「バリー・ツイストが逃げた」は、ロンドンでの火災の前年、1975年の話。エドガーはポーの村から逃げたクロエを見つけ、ポーの村の秘密を知る。ポーの村の地下には、かつて一族を危機に陥れたために大老に滅ぼされたフォンティーンという男が幽閉されているという。バリーは彼の異母弟で、大老への復讐を誓って村から逃げたのだ。そのバリー・ツイストはその頃アランと会っている。彼はなぜかアランに執心しているが、アランの方は彼を嫌っているようだ。
 その理由は最後の「カタコンベ」で明かされる。62年、アランの前に現れたバリーは、彼がカタコンベ(地下墓地)の中に作っている塔を見せ、彼が闘っている「敵」の話をする。「敵」は強く、彼を搾り取ってはカタコンベに投げ込むというのだ。恐ろしくなったアランが昔バリーから聞いた「本当の名前」を呼ぶと、バリーはアランを解放する。その名前「ユニコーン」はかつて彼の兄が彼を呼んでいた名前で、その名で呼ばれると彼はなぜか逆らえなくなるのだという。
 このバリーが今後、アラン復活の鍵になることは間違いない。だが彼の「敵」は大老ポーであり、そうなるとこれはなかなかに壮大な物語である。不死の一族全体への広がりさえ示唆されている。僕にとってのこの作品の魅力は(あくまで個人的な嗜好だが)、永久に少年のままの主人公と、彼らと出会ってしまった人間が織りなすドラマなのだ。べつにポーの一族版「サーガ」が読みたいわけではないのだが…。

「秘密の花園」

 「ランプトンは語る」で登場したクエントン卿のエピソードが2巻にわたって語られる。彼が最後にバンパネラになることは最初から分かっているので、気になる点だけ挙げてみる。
 まず、エドガーが人を殺しすぎる。過去に「ポーの村」ではグレンスミスを殺すことなく、手をかざすだけで「気」を吸い取っていた。エドガーが襲って殺したのは、「メリーベルと銀のばら」での村娘と「ペニーレイン」のリデルの両親くらい。前者は初めてのことで加減が分からなかったのだろうし、後者はアランを目覚めさせるために必要だった。「小鳥の巣」では、正体を知られたと知るや果断にマチアスに手を掛けるが、「ロビンのために泣いてくれた」キリアンは赦す。この巻でのエドガーの余裕のなさは、アランと二人だけの旅を始めてから間もないからであろうか。
 目覚めた直後とはいえ、アランが犬を「喰って」しまうのもなんだかなあという感じだ。人以外の動物からも「気」が得られるのなら、話の前提が変わってしまうのではないだろうか(山羊は不味いらしいが)。
 最後に最も重要な齟齬。1888年の時点で、ポーの村のシルバーたちはエドガーを監視しており、クエントン卿は最期に村長のクロエによって一族に迎えられる。だが、「正編」には、「花嫁」を一族に加える儀式のために村を探していたポリスター卿が、奇禍にあって「消滅」してしまい、村への地図も失われてしまうというエピソード(「ピカデリー7時」)が存在する。年代ははっきりしないが、クエントン卿のエピソードより以前とは考えにくい。だとするとエドガーたちはポーの村と連絡できたはずだし、アランが村から拒まれていることも知っていたはず。この話そのものが成立しなくなってしまうのではないだろうか。
 そういった細かい矛盾に目をつぶれば、充分に魅力的な話である。続編を通じて、登場人物のあまりの多さにはやや閉口するが(ミステリーの本によくあるような登場人物の一覧をつけてほしい)…。
 さて、次の「青のパンドラ」でアランは復活するのだろうか。

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