12月24日
昨日の朝日新聞「声」欄に、「道徳の授業に正解はあるのか」という、高校生からの投稿が載っていた。彼女は小学生の頃の「道徳」の授業の思い出を綴っている。友達と大喧嘩した主人公がその友達から仲直りを持ちかけられるというシチュエーションで、「仲のいい友達ほどなかなか許せないのではないか」と発言したところ、教員から「本当にそう思いますか。あなたはけんかしても友達を許さないのですか」と迫られたというのだ。それ以降、彼女にとっては、「道徳」はいかに周囲と同じ意見を言うかの授業になってしまった。そして、自分の意見を一方的に否定されてしまったのは今も「心の傷」になっているという。
読んで暗澹たる気分になった。控えめに言ってもこの教員は能力が高いとは言えない。周りと違う意見こそ、議論を深めるチャンスなのにそれをみすみす逃している。彼女の意見を一方的に否定したのは、ある種の「暴力」でさえある。「道徳」を教科として導入する際、文科省は「特定の考えを押し付けるものではない」と言っていたはずである。
「銀の匙」の中勘助は「修身」の時間が大嫌いだった。
「先生、人はなぜ孝行しなければならないんです」/先生は目を丸くしたが「おなかのへった時ごはんがたべられるのも、あんばいの悪い時お薬のめるのも、みんなおとう様やおかあ様のおかげです(中略)山よりも高く海よりも深いからです」「でも僕はそんなこと知らない時のほうがよっぽど孝行でした」/先生はかっとして「孝行のわかる人手をあげて」といった。(中略)それから先生は常にこの有効な手段を用いてひとの質問の口をとざしたが、こちらはまたその屈辱を免れるために修身のある日にはいつも学校を休んだ。
勿論、中勘助に肉親の情愛がなかったわけではない。「修身」の授業の嘘くささを鋭敏な神経で感じていたのであろう。もう一つ別のエピソード。日清戦争が始まり、中国のことを悪く言う先生に私はこう言う。
「先生、日本人に大和魂があればシナ人にはシナ魂があるでしょう。日本に加藤清正や北条時宗がいればシナにだって関羽や張飛がいるじゃありませんか。それに先生はいつかも謙信が信玄に塩を贈った話をして敵を憐れむのが武士道だなんて教えておきながらなんだってそんなにシナ人の悪口ばかし言うんです」/そんなことをいって平生のむしゃくしゃをひと思いにぶちまけてやったら先生はむずかしい顔をしてたがややあって/「□□さんは大和魂がない」といった。私はこめかみにぴりぴりとかんしゃく筋のたつのをおぼえたが、その大和魂をとりだしてみせることもできないのでそのまま顔を赤くして黙ってしまった。
こうやって読んでみると、現代の学校教育も明治期とあまり変わっていないと感じる。最初の投稿に戻れば、「先生が『友達とけんかをしても許してあげましょう』ということを伝えたかったというのは理解できる」と彼女は書いている。だが、そんな通り一遍の「答え」のために異論を許さない雰囲気が作られてしまう弊害の方がよっぽど大きい。先ほどこの教員の能力を問題にしたが、これはそもそも「道徳」という教科自身が内包している問題なのではないか。こんな「教科」が思いやりの涵養だの、いじめの撲滅だのに資することは決してないだろうと思う。
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